大正15年・昭和元年(1926) 【4月1日】 教授 中原實、図書課長に任ぜられる |
歯科医事・世相一般 【3月】 「歯科医師会令」公布 【6月】 「健康保険法施行令」公布 【12月25日】 大正天皇崩御、昭和天皇践祚 |
昭和2年(1927) 【4月8日】 生徒の患者実習用として附属医院に電気エンジンを設置する 【10月2日】 地上3階建の校舎屋上に1階を増築して地上4階とする工事、ならびに区画整理のため物理化学教室の移転工事に着手 【12月2日】 前日本歯科医学専門学校長 原田朴哉氏死去 |
歯科医事・世相一般 【1月】 「健康保険法」全面施行(医療給付開始) 健康保険歯科診療開始。契約は人頭請負式で一人頭、68銭5厘、診療費点数計算点を10銭とする 【3月】 銀行取付から金融恐慌勃発 【9月】 「診療所取締規則」公布 【12月】 上野⇔浅草間に地下鉄開通 |
昭和3年(1928) 【4月13日】 御大典記念事業として、将来の体育奨励のため運動場を造り、また合宿所を建設する計画で、 東京府下北多摩郡小金井村字下染谷に6、124坪の土地を購入 【11月6日】 本校附属医院屋上に「日歯招魂社」を新造して、校友の霊を合祀 |
歯科医事・世相一般 【6月4日】 第1回ムシ歯予防デー開催 【10月12日】 勅令239号により、官立東京高等歯科医学校の創設公布(東京医科歯科大学歯学部の前身、翌昭和4年4月開校) 【11月15日】 従来の牛込駅と飯田町駅を併合し、現在地に飯田橋駅開設 |
昭和4年(1929) 【10月25日】 校友ならびに学生4、400有余名の拠出金により、校庭に中原市五郎校長の寿像建設され、除幕式挙行(寿像制作:朝倉文夫) 【12月】 中原市五郎校長、日本歯科学会主幹を兼任 |
歯科医事・世相一般 【4月1日】 医師、歯科医師、薬剤師試験事務を文部省より内務省に移管 【9月】 宮内省雅楽寮の跡地の現在地に、富士見町教会新会堂建設(現助産師会館の場所から移転) |
昭和5年(1930) 【4月24日】 米国ノースウエスタン大学歯科科長A・D・ブラック氏夫妻本学来訪 【4月30日】 東京府北多摩郡小金井村大字小金井字下染谷(現在の小金井グラウンド)に木造2階建の合宿所ほか4棟を建造 【11月2日】 2日、3日の両日、中原市五郎を会頭に、加藤清治を会長とし、わが国最初の「日本歯科分科綜合大会」を 神田の帝国教育会館および日本歯科医学専門学校内において挙行 【11月17日】 小金井下染谷に本校運動場完成 |
歯科医事・世相一般 【1月11日】 金輸出解禁実施 【4月22日】 ロンドン海軍軍縮会議 【10月1日】 東京⇔神戸間に特急「燕」運転開始 |
昭和6年(1931) 【2月14日】 本校校長 中原市五郎、全国歯科医学専門学校校長を麹町区富士見楼に招待 【4月15日】 本所亀沢町1番地の27に附属医院分院を開設し、生活困窮者の無料診療を開始する。建坪32坪、受付、会計室、治療室等完備 【6月1日】 本校機関誌「歯科医報」を発行 【6月16日】 校長 中原市五郎は、パリで開催の第8回国際歯科医学大会(FDI)に日本代表委員として列席するため東京駅発渡欧の途につく 【11月28日】 校友 青木末弘氏が冬期オリンピック選手氷上監督として渡欧するに先立ち、校友会より記念品を贈る 【12月】 校友 青木末弘氏、第3回冬期オリンピックに氷上選手監督として渡米(レークプラシッド) |
歯科医事・世相一般 【9月18日】 満州事変勃発 【11月】 東北・北海道地方に大冷害 |
昭和7年(1932) 【4月】 中原市五郎、長野県駒ヶ根市赤穂小学校に鉄骨治療椅子を寄付 【6月20日】 校友 蓮見宏氏、第10回オリンピックに陸上選手監督として渡米(ロサンゼルス) 【9月2日】 東京府北多摩郡小金井村貫井の土地187坪を購入 |
歯科医事・世相一般 【1月28日】 上海事変起こる 【5月】 犬養首相暗殺 |
昭和8年(1933) 【11月1日】 校長 中原市五郎は、多年教育事業に尽瘁した功により、帝国教育会より金牌ならびに賞状を授与される |
歯科医事・世相一般 【3月】 国際連盟脱退 【4月25日】 東京市告示第216号を以て、麹町区富士見町一円を富士見町1丁目と改称 |
昭和9年(1934) |
歯科医事・世相一般 【11月】 ベーブ・ルース来日 |
昭和10年(1935) 【5月17日】 附属医院本所分院を一時閉鎖する 【6月1日】 日本歯科医学専門学校校友会旗制定される(旗は縦に長く懸垂形で校章を染めぬいたもの) |
歯科医事・世相一般 【8月】 東京府で「学校歯科医及幼稚園歯科医に関する規程」制定 |
昭和11年(1936) 【2月26日?】 2・26事件による戒厳令下東京近郊交通杜絶、本校および病院ともに臨時休校・休診する 【6月5日】 校友 石川周策氏、第11回オリンピックにホッケー監督として渡独(ベルリン) 【7月1日】 「日本歯科医学専門学校創立30年記念誌」発刊 【7月3日】 中原市五郎先生の古稀祝賀会を日比谷帝国ホテルにおいて開催 【9月14日】 校長 中原市五郎、校長を辞任、同時に名誉校長に推戴される 【9月15日】 教授 加藤清治(1885?1957)、日本歯科医学専門学校校長に就任 【11月3日】 加藤清治新校長および中原市五郎前校長の歓送迎会を上野精養軒において開催 |
歯科医事・世相一般 【2月26日】 2・26事件起こる 【12月】 健康保険組合連合会設立 |
昭和12年(1937) 【5月13日】 文部省主催国際教育大会の企画による、日本教育機関海外宣伝のため、国際文化振興会会員、永田一脩、 木村伊兵衛両写真技師によって、本校新附属医院および本校舎内部が撮影された 【7月21日】 本校ならびに教職員、校友会、日本歯科学会および学友会より陸海軍に総計金2、587円10銭を献金 【12月15日】 本校教職員より金500円を国防献金 |
歯科医事・世相一般 【3月】 「母子保護法」公布 【7月7日】 蘆溝橋事件起こる(日中戦争始まる) |
昭和13年(1938) 【5月25日】 賀陽宮殿下来校され、附属医院および本館を視察し、教職員と記念撮影 【9月5日】 電気節約のため、後学期から各1時限の授業時間50分を10分短縮して各40分にする 【12月5日】 理事長中原市五郎は、公爵一条実孝氏等の賛同を得て「保健長寿会」を結成 |
歯科医事・世相一般 【1月11日】 厚生省設置 【4月1日】 「国民総動員法」および「国民健康保険法」公布される。 |
昭和14年(1939) |
歯科医事・世相一般 【4月】 「船員保険法」公布 「職員健康保険法」公布 関門国道海底トンネル開通 【5月】 「齲歯予防思想普及に関する件」を通達 【9月3日】 第2次世界大戦起こる。 【11月】 日本歯科医師会は健康保険用合金にパラジウム合金を指定 |
昭和15年(1940) 【2月2日】 本校教職員親睦会の目的を以て「昭和会」を結成。毎年1回中原市五郎先生の誕生日、5月15日に会合することに決定 【8月12日】 理事長、名誉校長中原市五郎は、8月24日ハルピンにおいて開催の皇紀二千六百年記念満州歯科医学大会に出席のため、 国分史楼教授とともに東京を出発 |
歯科医事・世相一般 【3月】 陸軍歯科医将校設置 【6月】 厚生省の火災により、医籍、歯科医籍など原簿一部消失 【9月】 日独伊三国同盟調印 【11月】 「国民服令」公布 【11月7日】 全国歯科医学専門学校合同主催の「皇紀二千六百年記念式典」神田共立講堂において開催 |
昭和16年(1941) 【3月22日】 日本歯科医学専門学校創立者 中原市五郎先生逝去される 【3月23日】 教授 中原實、財団法人日本歯科医学専門学校理事長に就任 【4月17日】 故中原市五郎先生の学校葬、青山斎場において執行 【12月18日】 学則一部の改正を行い、本校の制服を国民服(乙号)とする 【12月23日】 本年度卒業生の中で、大学医学部進学希望者のために臨時補習科を開設 【12月27日】 勅令に基づき卒業期を3ヵ月短縮して、繰上げ指定第31回卒業式を挙行、157名に卒業証書を授与 |
歯科医事・世相一般 【5月】 海軍歯科医武官を設置 【12月8日】 太平洋戦争起こる(宣戦布告)。日本軍真珠湾攻撃 |
昭和17年(1942) 【3月17日】 3月17日より20日間、各学年軍需工場に勤労奉仕 【3月22日】 故中原市五郎先生一周忌追悼会を学校および校友会、合同で本校講堂において開催 【3月23日】 故中原市五郎先生の弔慰金および校友の寄附金を以て、先生の大理石の納骨堂が先生の銅像の直後に設立され、 御遺骨の納骨式を挙行 【11月19日】 本校において、戦歿校友31柱の慰霊祭を執行 【12月】 「日本口科学会雑誌」(昭和15年まで「日本歯科学会雑誌」)、昭和17年12月限りで廃刊する |
歯科医事・世相一般 【1月】 学徒勤労動員開始 【2月25日】 「国民医療法」公布 【4月18日】 米陸軍機、日本本土を初空襲 【8月】 「医師会及歯科医師会令」公布 【11月】 関門海底鉄道トンネル開通 【12月】 アメリカ、原子核分裂に成功 |
昭和18年(1943) 【1月4日】 加藤清治校長、日本歯科医師会副会長に任命される 【3月14日】 本年度入学志願者1,200名を突破したため、法政大学校舎も借用して入学試験を行う 【10月15日】 各学年生徒、国分寺駅前に集合し、全員を4小隊に区分して、徒歩行軍を行い、小金井の本校運動場において、 グライダーの命名式を挙行。「八元」と命名 |
歯科医事・世相一般 【1月18日】 国民医療法に基づく日本歯科医師会設立認可。従来の日本歯科医師会自然解散 【7月1日】 東京都政実施 |
昭和19年(1944) 【5月30日】 故中原市五郎先生の寿像は、軍需資材として軍部に供出することとなり、その壮行式を寿像前において挙行 【7月6日】 7月6日より1週間、本校において、歯科医師に対して、医学講習会を開催(聴講者100名を突破) |
歯科医事・世相一般 【6月】 北海道有珠郡に昭和新山誕生 【10月】 神風特攻隊編成 【11月24日】 米軍機B29、約80機で東京を初大空襲 |
昭和20年(1945) 【3月10日】 B29の爆撃により本校は、病棟、講堂、実習教室を全焼、附属医院も多大の損害を蒙り、被害総坪数940坪に及んだ。 また本校教職員罹災者20名に及ぶ 【10月23日】 連合軍司令部の命令に基づき、毎月本校における研究月報を、連合軍に報告することとなる |
歯科医事・世相一般 【3月10日】 米軍機B29、東京各地を無差別爆撃 【4月5日】 「医師免許の特例に関する件」公布(歯科医師より医師への転換) 【8月】 米軍、広島と長崎に原爆投下 ソ連参戦 【8月15日】 天皇陛下、ラジオで全国民に終戦の詔書を放送 【9月2日】 ミズーリ号艦上で降伏文書調印(太平洋戦争完全終結) |