明治45年・大正元年(1912) 【1月17日】 助手加藤清治を海外留学生として、アメリカ・ノースウエスタン大学歯学部に派遣(本学留学生の最初) 【2月25日】 学則を改正して予科を設け、予科6ヵ月と修業年限を延長する 【3月1日】 出版部最初の刊行物として日本歯科医学専門学校講義録を出版し、また校外生制度を設けて広く全国より校外生を募集 【10月21日】 日本歯科医学専門学校指定第1回卒業式を挙げ、卒業生54名に卒業証書を授与。 卒業生は「日本歯科医学得業士」の称号が与えられた |
歯科医事・世相一般 【4月】 イギリス客船タイタニック号氷山と衝突沈没 【7月30日】 明治天皇(嘉永5〔1852〕〜1912)崩御、大正天皇践祚 |
大正2年(1913) 【7月23日】 学則を改正し予科半年制をさらに6ヵ月延長して、1ヵ年とする。修業年限は予科1年、本科3年となる 【12月1日】 「歯口世界」第1巻第1号を発行(中原市五郎編集) 【9月19日】 文部省令第28号を以て「歯科医師試験規則」発令さる(学説試験は解剖、生理、薬物、病理、口腔外科、 実地試験は歯科治術学〈矯正を含む〉、歯科技工学の7科目となる)(大正10年10月1日より実施)。 |
大正3年(1914) 【3月】 大正博覧会に、明治初年の義歯、歯科治療器械その他歯科関係の模型、標本等150数点を本校より出品 【4月】 日本歯科医学専門学校校友会学術部が独立して「日本歯科研究会」誕生(のち「日本歯科学会」と改称) 【6月24日】 本校卒業生に「日本歯科医学士」の称号が許可される 【8月1日】 留学生 加藤清治帰朝、教授に就任 |
歯科医事・世相一般 【4月】 九州歯科医学校設立(九州歯科大学の前身) 【7月】 第1次世界大戦勃発 【12月20日】 東京駅開業 |
大正4年(1915) 〔他国〕 フィリピン大学歯学部創設 【3月4日】 中原市五郎、歯科医師法改正期成同盟会を組織し、歯科医師法改正に努力した功により、日本聨合歯科医師会より金牌を授与される 【9月25日】 校長 中原市五郎、歯科教育視察のため、アメリカ合衆国に渡航。教授 永沢盛同行。また助手 清川巌留学生として同行 |
歯科医事・世相一般 【11月】 中原市五郎、賞勲局より大礼記念章を授与される アメリカのG・V・ブラック氏死去(“予防拡大"、“窩洞形成理論"を樹立) |
大正5年(1916) 〔他国〕 アメリカで世界最初の歯科衛生士学校創立 【2月7日】 助手 中原實を海外留学生として、アメリカ・ハーバード大学歯科部に派遣 【3月1日】 教授 加藤清治、附属医院院長に就任 【6月1日】 校長 中原市五郎、アメリカ・メリーランド大学より「ドクトル・オブ・サイエンス」の学位を授けられる |
歯科医事・世相一般 【4月】 東洋歯科医学専門学校設立(日本大学歯学部の前身) 【9月】 「医師ノ歯科専門標榜其ノ他ニ関スル件」(内務省令第11号)公布 |
大正6年(1917) 【1月28日】 従五位勲六等医学博士 永井潜(生理)、正六位医学博士 二村領次郎(解剖)、歯科医術開業試験委員に任命される 【4月1日】 「日本歯科研究会」を改称して「日本歯科学会」とし、中原市五郎会長に就任する |
歯科医事・世相一般 【4月】 アメリカ、ドイツに宣戦布告 【11月】 ロシア10月革命(ケレンスキー政府倒壊) |
大正7年(1918) 【9月1日】 附属医院の増築ならびに研究室の新築完成する 【12月4日】 中原市五郎校長、歯科軍医必要の趣意書を陸軍大臣に提出、議会を通し、陸軍に歯科嘱託医が実現 |
歯科医事・世相一般 【11月】 第1次世界大戦終結 |
大正8年(1919) 【7月1日】 学則一部を改正、予科の名称を廃し本科4年制に改め、また学科目中に「レントゲン線科」を加える 【11月10日】 設立者 中原市五郎の寄付により、財団法人日本歯科医学専門学校の設立許可申請書を文部大臣に提出する 【12月22日】 文部大臣より財団法人日本歯科医学専門学校設立許可される 【12月25日】 財団理事に中原市五郎、高島多米治、鈴木復三、加藤清治、中原武彦、監事に二村領次郎が就任し、財団法人組織完成。 中原市五郎理事長に就任 【12月28日】 九段坂上富士見軒において、日本歯科医学専門学校の財団法人披露会を開催 |
歯科医事・世相一般 【9月17日】 「歯科医術開業学説試験受験資格登録規程」制定 |
大正9年(1920) |
歯科医事・世相一般 【1月】 国際連盟発足 |
大正10年(1921) 〔他国〕 ベルン大学医学部歯学科創設(ベルン大学は1528年創立) 【3月15日】 大学令に基づき、本校を大学(単科大学)に昇格する進達書を文部省に提出 【11月21日】 教授 加藤清治、宮内省侍医寮御用係を拝命 |
歯科医事・世相一般 【3月】 東洋歯科医学専門学校、日本大学と合併し、校名を「日本大学専門部歯科」と改称 |
大正11年(1922) 〔他国〕 京城歯科医学校開校(京城歯科医学専門学校、現ソウル大学歯学部の前身) 【6月20日】 新附属医院、鉄筋コンクリート3階建延517坪2合3勺完成 【10月28日】 本校創立満15年および附属医院新築記念祝賀式を挙行 |
歯科医事・世相一般 【1月】 明華女子歯科医学専門学校設立認可(東洋女子歯科医学専門学校の前身) 【4月】 「健康保険法」公布 |
大正12年(1923) 【4月1日】 留学生ドクトル 中原實、7ヵ年の欧米留学および視察をおえて帰朝、本校教授に就任 【9月1日】 関東大震災のため、校舎、標本、図書、機械器具その他設備の一切焼失し、損害額金63万1、450円に達する 【11月1日】 本校焼跡にバラックを急造、外来患者実習を開始 |
歯科医事・世相一般 【9月1日】 関東大震災(M7・9)東京、横浜に大火災起こる。死者14万2、807人 |
大正13年(1924) |
歯科医事・世相一般 【5月】 アメリカで「排日移民法」成立 |
大正14年(1925) |
歯科医事・世相一般 【11月1日】 神田⇔上野間開通し、山手線の環状運転開始 |