明治40年(1907)
〔他国〕
オタゴ大学歯学部創設
【5月】
中原市五郎、「日本歯科教育会」会長に推挙される。
同会では歯科医師法と「公立私立歯科医学校指定規則」に基づく歯科医育機関(共立歯科医学校)の設立を決議し、
設立者代表に中原市五郎を選任
【6月20日】
共立歯科医学校設立に際し、吉田仙正は「吉田歯科講義所」内の教育・実習用設備と備品を中原市五郎(日本歯科教育会会長
・共立歯科医学校設立者)に委譲
【6月24日】
日本歯科教育会会長 中原市五郎(1867?1941)を設立者として「私立共立歯科医学校」設立認可を申請
【6月28日】
「私立共立歯科医学校」設立認可。東京市麹町区大手町1丁目1番地に創立
【7月2日】
共立歯科医学校、大手町1丁目1番地の私立商工中学校校舎で授業開始。原田朴哉(1860?1927)校長に任命される
【8月3日】
共立歯科医学校、神田区雉子町30番地に校地・校舎を購入
【10月6日】
共立歯科医学校、雉子町に移転と同時に校舎の増築を行い、附属医院を新設し、外来患者臨床実習を開始。
院長に大久保潜龍就任 【4月7日】
大日本歯科医会を「日本聯合歯科医会」と改称
歯科医事・世相一般
【5月28日】
歯科医術開業試験規則を改正(試験科目の改正)
【9月12日】
私立東京歯科医学専門学校認可
明治41年(1908)
【11月2日】
共立歯科医学校内において、日本歯科教育会の総会および交和会、校友会開催、参加者400余名
【11月30日】
日本歯科教育会会長 中原市五郎「歯科新報社」を組織し、共立歯科医学校機関雑誌「歯科新報」第1巻第1号を発行
歯科医事・世相一般
【11月】
中国光緒帝没、翌日西太后没
明治42年(1909)
【3月29日】
日本歯科教育会臨時総会の決議により、共立歯科医学校の経営は設立者中原市五郎の個人経営に移る
【6月1日】
共立歯科医学校は麹町区富士見町6丁目3番地(現在地)に移転し、同時に校名を「日本歯科医学校」と改称。
この日6月1日を本学創立記念日と定める
【6月6日】
日本歯科医学校同窓会設立される(現校友会の濫觴)
【8月14日】
専門学校令に基づき、日本歯科医学校を「私立日本歯科医学専門学校」に昇格させ、修業年限を3ヵ年に延長、
同時に2年制の附属日本歯科医学校を新設する
【12月3日】
校友会ならびに学生会を設ける 【6月】
ドクトル大久保潜龍、大久保歯科医学講習所設立(日本女子歯科医学専門学校の前身)
歯科医事・世相一般
【8月】
私立日本歯科医学専門学校認可
【10月26日】
伊藤博文暗殺
【12月16日】
山手線電車運転開始(上野⇔新宿⇔品川⇔烏森、赤羽⇔池袋)
明治43年(1910)
〔他国〕
アメリカ、イギリス、カナダの三教会の設立により、四川省成都に私立華西協会大学(文学・理学・医学・牙学)創設
(四川大学華西口腔医学院の前身)
【6月1日】
日本歯科医学専門学校は、歯科医師法第1条第1号により文部大臣より指定され、明治45年以後の卒業生に無試験開業の資格が
与えられる
【9月27日】
日本歯科医学専門学校長 原田朴哉辞任
【9月30日】
日本歯科医学専門学校設立者校主 中原市五郎、同校校長事務取扱に任ぜられる
歯科医事・世相一般
【2月】
東京歯科医学専門学校指定さる
【6月】
日本歯科医学専門学校指定さる
明治44年(1911)
【2月28日】
中原市五郎、日本歯科医学専門学校校長に就任
【9月】
歯科医書刊行の目的を以て出版部を設ける(主任 永沢盛)
【10月29日】
日本歯科医学専門学校認定第1回卒業式を挙行し、卒業生16名に卒業証書を授与
歯科医事・世相一般
大阪歯科医学校設立(大阪歯科大学の前身)
広島女子歯科医学校設立