日本歯科大学校友会・年表



 


一、本年表では、巻頭に「共立歯科医学校前史」を掲げた。
同欄には、1840年のボルチモア歯科医学校(現メリーランド大学歯学部)開校から明治39年(1906)の歯科医師法(旧法)の公布、「公立私立歯科医学校指定規則」までの歯科医事に関する事項を収録した。

一、明治40年(1907)以降は、各年ごとに「本学・校友会・歯学会」および「歯科医事・世相一般」欄を設けた。

一、人名や法令以外は、原則として新漢字・新かなづかいで表記した。


共立歯科医学校前史

天保11年(1840)
 【2月1日】 
 〔他国〕
  世界最初の歯科医学教育機関ボルチモア歯科医学校、メリーランド州より設立認可(メリーランド大学歯学部の前身、開校は同年11月)
 
安政3年(1856)  
 〔他国〕
  ペンシルベニア歯科医学校創設(ペンシルベニア大学歯学部の前身)
 
慶応3年(1867)
 【5月15日】
  日本歯科大学創立者中原市五郎、旧松本藩領、信濃国伊那郡下平村に生まれる(現、長野県駒ヶ根市赤穂町)
 
明治元年(1868)
 【9月8日】
  明治と改元、一世一元の制を制定
 
明治2年(1869)
 【6月29日】
  東京招魂社仮本殿を九段坂上に建設(明治12年、社号を「靖国神社」に改め、別格官幣社となる)
 
明治5年(1872)
 【8月3日】
  文部省「学制」を頒布し、わが国の教育方針を樹立
 【11月9日】
  太陽暦を採用し、明治5年12月3日を以て明治6年1月1日に定める
 
明治6年(1873)
 【6月19日】
  旧幕以来の医業従事者の年齢、本籍、開業地、修学履歴、開業履歴、専門科名等を調査(「医術開業ノ者ヲ査点セシム」)
 
明治7年(1874)
 【8月18日】
  わが国の最初の衛生行政法規「医制」を東京、京都、大阪の三府に達。全76条からなり、衛生行政、地方衛生、医学教育、医薬分業、医師組合、医師・薬舗(薬剤師)・産婆(助産師)開業試験法等についての指針を提示
 
明治8年(1875) 
 〔他国〕
  ミシガン大学歯学部創設
 【2月10日】 
  医制第37条(満25歳以下で新規開業希望者への医術開業試験)の実施方を東京、京都、大阪の三府に達。全国各道県へは翌9年1月に達(「医師ヲ試験セシム」)。内外科(一般医科)のほか暫定的に、内科・外科・産科・眼科・口中科・整骨科の各専門科での受験を認める。のちに「旧試験」と呼ばれ明治16年末まで府県で実施されたこの暫定試験による合格者は、約3300名
 【10月2日】
  小幡英之助、「歯科専門」により同日付で内務省医術開業免状第4号を下付さる。明治8年夏に東京医学校(現、東京大学医学部)で受験し同校の上申書によれば、小幡の成績は「中の上」で、歯科専門第一番目の合格者。明治16年末までの旧試験では、歯科専門で29名、口中科専門で2名が合格し内務省免状を下付された
 
 
明治12年(1879)
 【2月24日】
  「医師試験規則」を公布(それまで各府県の実情にあわせて実施していた旧試験について、試験法・試験時期を全国的に統一し、問題の選定と答案の採点・合否の決定を内務省衛生局が行い、専門科名では「口中科」を「歯科」に変更、8月から施行)
 
明治13年(1880)
 【7月13日】
  近代法制の嚆矢である旧刑法制定(施行は明治15年1月1日)。「健康ヲ害スル罪」の中で第256条に「私(ひそかに)ニ医業ヲ為ス罪」を条文化し罰則を定める(現行刑法が施行される明治41年まで、無免許医業で刑事告発された者約9千名)
 
明治16年(1883) 
〔他国〕
パリ歯科医学校創設(パリ第7大学歯学部の前身)
 【10月23日 】
  太政官布告により「医師免許規則」「医術開業試験規則」公布(施行は明治17年1月1日)
  「医術開業試験規則」では、専門科を廃しすべて普通試験を行い一元化することとなったが、歯科は「普通外科術ト稍異ナル」ことから、別に試験科目を定めた(医歯二元制の明文化)
 【12月28日 】
  内務省、各府県に「医籍編製」を達。17年1月1日現在の医師の氏名等を取調べ、3月中に提出するよう指示
  それまで経過措置として各府県から仮免状を下付していた従来開業医師約3万5千人、内務省から免状を下付した医師約5千名(旧試験及第医、大学卒業医、奉職履歴医)に対し、旧免状を返納させ新免状を交付し、統一した医籍を編制して内務省の医籍原簿に登録することとした。明治17年の歯科医術開業試験合格者からは、別途「歯科医籍」に登録される
 
明治17年(1884) 
〔他国〕
マンチェスター大学歯学部創設
 【10月30日】
  東京府士族青山千代次、歯科医籍第1号に登録(官報明治17年11月5日号で公告)
 
明治18年(1885)
 【3月23日】
  内務省、「入歯歯抜口中療治接骨営業者等取締規則」の制定方を道府県に指示(地方の実情に従い取締規則を定め、地方庁で営業者の鑑札を下付)。東京府では明治18年中、67名の営業者に鑑札が下付された
 
明治21年(1888)
 【3月】
  石橋泉、久保田豊、わが国最初の歯科医学教育機関「東京歯科専門医学校」を京橋区弥左衛門町に設立
  入歯歯抜口中療治の営業鑑札所持者(従来家)の神翁金斉、吉田仙正、竹澤国三郎が同校の運営に助力し、中原市五郎、中村好正ら30数名が入学。設立者両名の離反から8月31日に廃校届が出され、同校は分裂。
  翌9月、久保田豊は日本橋蛎殻町に、石橋泉は下谷区御徒町に同一校名の「東京歯科専門医学校」を開設
 
明治22年(1889)
 【4月】
  中原市五郎、東京府で施行された歯科医術開業試験に合格、5月28日付で歯科医籍第86号に登録(官報明治22年6月19日号で公告)
 【11月6日】
  神田区錦町に移転した石橋泉の「東京歯科専門医学校」は廃校届を東京府に提出。従来家である神翁金斉、吉田仙正、竹澤国三郎に高橋富士松、鈴木玉吉(玉斎)が加わり同校を継承して「歯科講義会」を設立。
  久保田豊の「東京歯科専門医学校」は明治30年頃に自然消滅
 【11月11日】
  磯野橘斎「私立麻布歯科医学校設立願」を東京府に提出
 【11月】
  高山紀斎「高山歯科医学院設立御認許願」を東京府に提出し、翌23年1月開校(東京歯科大学の前身)
 
明治23年(1890)
 【11月23日】
  わが国最初の歯科学術団体である「歯科研究会」発足。発起人総代は榎本積一で、第1回総会には48名が出席。
  歯科研究会は歯科医、歯科専門医師、従来家、歯科医生(歯科医宅で助手等を務める開業試験受験生)を会員として、月に1回会同して歯科医学・治術に関する講習を行い、情報を交換した。
  中原市五郎は明治25年前後に同会「協賛員」として加入する。24年1月から機関誌『歯科研究会録事』(後継誌『歯科研究会月報』)を発行。のち「歯科学会」と改称し、最盛期には会員数400名余を数えたが明治34年5月休会し、自然解散
 
明治25年(1892)
 【5月】
  「歯科講義会」は従来の組織を変更し、小島原泰民と伊澤信平を講師に毎週水曜日、日本橋の筒井学校で歯科医術開業試験学科目の講習会を開講。毎月「講義録」を刊行する
 
明治26年(1893)
 【2月4日】
  中原實、東京市麹町区飯田町2丁目67番地に生まれる
 【6月24日】
  東京府下在住の歯科医・歯科専門医師34名により、京橋区の大日本私立衛生会において「歯科医会」の発会式が挙行される。
  「歯科医会」はわが国最初の歯科医師団体で、7月1日に警視庁令に則り設立認可。
  創立当初の役員は常議員に伊澤道盛、伊澤信平、小幡英之助、高山紀斎、井野春毅、榎本積一、菅沼友三郎、佐藤丈二郎。
  幹事に斎藤英三郎、中原市五郎、青山松次郎、平岡頼一、富安晋。29年11月に「日本歯科医会」と改称
 
明治30年(1897)
  「官立歯科医学校」設立運動おこる。血脇守之助ほか35名、衆議院と貴族院に設立請願書を提出
 
明治32年(1899)
 【8月3日】
  勅令第88号を以て「私立学校令」公布
 
明治33年(1900)
 【11月3日】
  中原市五郎、第四次麹町区会議員に当選
 
明治34年(1901)
 【4月1日】
  第一~第五高等学校医学部が独立し、千葉、仙台、岡山、金沢、長崎の各官立医学専門学校となる
 【6月7日】
  内務省令第16号により「医籍薬剤師名簿編成竝加除訂正規程」を定め、医師・歯科医・薬剤師の生年月日、免状種別、本籍地、開業地等を調査。各人毎に記入する調査個票を用いた全国的な動態調査により、現存する医師らの実数が判明する。
  明治34年度の医師・歯科医数は、3万3508人(前年度より7146人減)
 【10月23日】         
  区会議員中原市五郎の建議により麹町区に嘱託歯科医を設置

明治35年(1902)
 【3月24日】
 東京帝国大学医科大学(東京大学医学部)に歯科教室開設(主任:石原久 助教授)

明治36年(1903)
 【4月1日】          
 医術開業試験及び薬剤師開業試験を内務省より文部省に移管
 【11月2日】
  東京帝国大学医科大学歯科教室、歯科外来診療を開始

明治38年(1905)
 【7月1日】
  文部省令第12号により「私立医学専門学校指定規則」制定
 【10月】
  歯科講義会は吉田仙正の個人経営となり、「吉田歯科講義所」と改称

明治39年(1906)
 【4月5日】
 中原市五郎、東京帝国大学で開催された第二回日本聯合医学会(会頭:北里柴三郎)の第十七部歯科部(部会長:石原久)において、「第一大臼歯ニ就テ」の演題で口頭発表
 【5月2日】
  法律第47号で「医師法」、法律第48号で「歯科医師法」を公布(施行は同年10月1日)。日本歯科医師会は昭和32年(1957)に、 歯科医師法(旧法)公布の5月2日を「歯科医師記念日」に定める
 【10月30日】
  文部省令第17号により「公立私立歯科医学校指定規則」制定

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明治40年~明治43年
明治40年(1907)
〔他国〕
オタゴ大学歯学部創設
【5月】
中原市五郎、「日本歯科教育会」会長に推挙される。
同会では歯科医師法と「公立私立歯科医学校指定規則」に基づく歯科医育機関(共立歯科医学校)の設立を決議し、
設立者代表に中原市五郎を選任
【6月20日】
共立歯科医学校設立に際し、吉田仙正は「吉田歯科講義所」内の教育・実習用設備と備品を中原市五郎(日本歯科教育会会長
・共立歯科医学校設立者)に委譲
【6月24日】
日本歯科教育会会長 中原市五郎(1867?1941)を設立者として「私立共立歯科医学校」設立認可を申請
【6月28日】
「私立共立歯科医学校」設立認可。東京市麹町区大手町1丁目1番地に創立
【7月2日】
共立歯科医学校、大手町1丁目1番地の私立商工中学校校舎で授業開始。原田朴哉(1860?1927)校長に任命される
【8月3日】
共立歯科医学校、神田区雉子町30番地に校地・校舎を購入
【10月6日】
共立歯科医学校、雉子町に移転と同時に校舎の増築を行い、附属医院を新設し、外来患者臨床実習を開始。
院長に大久保潜龍就任 【4月7日】
大日本歯科医会を「日本聯合歯科医会」と改称
歯科医事・世相一般
【5月28日】
歯科医術開業試験規則を改正(試験科目の改正)
【9月12日】
私立東京歯科医学専門学校認可
明治41年(1908)
【11月2日】
共立歯科医学校内において、日本歯科教育会の総会および交和会、校友会開催、参加者400余名
【11月30日】
日本歯科教育会会長 中原市五郎「歯科新報社」を組織し、共立歯科医学校機関雑誌「歯科新報」第1巻第1号を発行
歯科医事・世相一般
【11月】
中国光緒帝没、翌日西太后没
明治42年(1909)
【3月29日】
日本歯科教育会臨時総会の決議により、共立歯科医学校の経営は設立者中原市五郎の個人経営に移る
【6月1日】
共立歯科医学校は麹町区富士見町6丁目3番地(現在地)に移転し、同時に校名を「日本歯科医学校」と改称。
この日6月1日を本学創立記念日と定める
【6月6日】
日本歯科医学校同窓会設立される(現校友会の濫觴)
【8月14日】
専門学校令に基づき、日本歯科医学校を「私立日本歯科医学専門学校」に昇格させ、修業年限を3ヵ年に延長、
同時に2年制の附属日本歯科医学校を新設する
【12月3日】
校友会ならびに学生会を設ける 【6月】
ドクトル大久保潜龍、大久保歯科医学講習所設立(日本女子歯科医学専門学校の前身)
歯科医事・世相一般
【8月】
私立日本歯科医学専門学校認可
【10月26日】
伊藤博文暗殺
【12月16日】
山手線電車運転開始(上野⇔新宿⇔品川⇔烏森、赤羽⇔池袋)
明治43年(1910)
〔他国〕
アメリカ、イギリス、カナダの三教会の設立により、四川省成都に私立華西協会大学(文学・理学・医学・牙学)創設
(四川大学華西口腔医学院の前身)
【6月1日】
日本歯科医学専門学校は、歯科医師法第1条第1号により文部大臣より指定され、明治45年以後の卒業生に無試験開業の資格が
与えられる
【9月27日】
日本歯科医学専門学校長 原田朴哉辞任
【9月30日】
日本歯科医学専門学校設立者校主 中原市五郎、同校校長事務取扱に任ぜられる
歯科医事・世相一般
【2月】
東京歯科医学専門学校指定さる
【6月】
日本歯科医学専門学校指定さる
明治44年(1911)
【2月28日】
中原市五郎、日本歯科医学専門学校校長に就任
【9月】
歯科医書刊行の目的を以て出版部を設ける(主任 永沢盛)
【10月29日】
日本歯科医学専門学校認定第1回卒業式を挙行し、卒業生16名に卒業証書を授与
歯科医事・世相一般
大阪歯科医学校設立(大阪歯科大学の前身)
広島女子歯科医学校設立
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大正元年~大正14年
明治45年・大正元年(1912)
【1月17日】
助手加藤清治を海外留学生として、アメリカ・ノースウエスタン大学歯学部に派遣(本学留学生の最初)
【2月25日】
学則を改正して予科を設け、予科6ヵ月と修業年限を延長する
【3月1日】
出版部最初の刊行物として日本歯科医学専門学校講義録を出版し、また校外生制度を設けて広く全国より校外生を募集
【10月21日】
日本歯科医学専門学校指定第1回卒業式を挙げ、卒業生54名に卒業証書を授与。
卒業生は「日本歯科医学得業士」の称号が与えられた
歯科医事・世相一般
【4月】
イギリス客船タイタニック号氷山と衝突沈没
【7月30日】
明治天皇(嘉永5〔1852〕~1912)崩御、大正天皇践祚
大正2年(1913)
【7月23日】
学則を改正し予科半年制をさらに6ヵ月延長して、1ヵ年とする。修業年限は予科1年、本科3年となる
【12月1日】
「歯口世界」第1巻第1号を発行(中原市五郎編集) 【9月19日】
文部省令第28号を以て「歯科医師試験規則」発令さる(学説試験は解剖、生理、薬物、病理、口腔外科、
実地試験は歯科治術学〈矯正を含む〉、歯科技工学の7科目となる)(大正10年10月1日より実施)。
大正3年(1914)
【3月】
大正博覧会に、明治初年の義歯、歯科治療器械その他歯科関係の模型、標本等150数点を本校より出品
【4月】
日本歯科医学専門学校校友会学術部が独立して「日本歯科研究会」誕生(のち「日本歯科学会」と改称)
【6月24日】
本校卒業生に「日本歯科医学士」の称号が許可される
【8月1日】
留学生 加藤清治帰朝、教授に就任
歯科医事・世相一般
【4月】
九州歯科医学校設立(九州歯科大学の前身)
【7月】
第1次世界大戦勃発
【12月20日】
東京駅開業
大正4年(1915)
〔他国〕
フィリピン大学歯学部創設
【3月4日】
中原市五郎、歯科医師法改正期成同盟会を組織し、歯科医師法改正に努力した功により、日本聨合歯科医師会より金牌を授与される
【9月25日】
校長 中原市五郎、歯科教育視察のため、アメリカ合衆国に渡航。教授 永沢盛同行。また助手 清川巌留学生として同行
歯科医事・世相一般
【11月】
中原市五郎、賞勲局より大礼記念章を授与される アメリカのG・V・ブラック氏死去(“予防拡大"、“窩洞形成理論"を樹立)
大正5年(1916)
〔他国〕
アメリカで世界最初の歯科衛生士学校創立
【2月7日】
助手 中原實を海外留学生として、アメリカ・ハーバード大学歯科部に派遣
【3月1日】
教授 加藤清治、附属医院院長に就任
【6月1日】
校長 中原市五郎、アメリカ・メリーランド大学より「ドクトル・オブ・サイエンス」の学位を授けられる
歯科医事・世相一般
【4月】
東洋歯科医学専門学校設立(日本大学歯学部の前身)
【9月】
「医師ノ歯科専門標榜其ノ他ニ関スル件」(内務省令第11号)公布
大正6年(1917)
【1月28日】
従五位勲六等医学博士 永井潜(生理)、正六位医学博士 二村領次郎(解剖)、歯科医術開業試験委員に任命される
【4月1日】
「日本歯科研究会」を改称して「日本歯科学会」とし、中原市五郎会長に就任する
歯科医事・世相一般
【4月】
アメリカ、ドイツに宣戦布告
【11月】
ロシア10月革命(ケレンスキー政府倒壊)
大正7年(1918)
【9月1日】
附属医院の増築ならびに研究室の新築完成する
【12月4日】
中原市五郎校長、歯科軍医必要の趣意書を陸軍大臣に提出、議会を通し、陸軍に歯科嘱託医が実現
歯科医事・世相一般
【11月】
第1次世界大戦終結
大正8年(1919)
【7月1日】
学則一部を改正、予科の名称を廃し本科4年制に改め、また学科目中に「レントゲン線科」を加える
【11月10日】
設立者 中原市五郎の寄付により、財団法人日本歯科医学専門学校の設立許可申請書を文部大臣に提出する
【12月22日】
文部大臣より財団法人日本歯科医学専門学校設立許可される
【12月25日】
財団理事に中原市五郎、高島多米治、鈴木復三、加藤清治、中原武彦、監事に二村領次郎が就任し、財団法人組織完成。
中原市五郎理事長に就任
【12月28日】
九段坂上富士見軒において、日本歯科医学専門学校の財団法人披露会を開催
歯科医事・世相一般
【9月17日】
「歯科医術開業学説試験受験資格登録規程」制定

大正9年(1920)
〔他国〕
アデレード大学歯学部創設(アデレード大学は1874年創立)
【1月6日】
英国政府の通牒により、本校卒業生は英本国、香港、シンガポールにおける無試験開業の資格を与えられる
【6月】
本校学生 蓮見宏、第7回オリンピック(アントワープ:ベルギー)の陸上選手として参加のため渡欧
【7月21日】
日本歯科医学専門学校附属日本歯科医学校(夜間部)閉校式を本校において挙行。
多年同校教師として教育に尽力された諸氏に感謝状ならびに銀盃を贈呈

歯科医事・世相一般
【1月】
国際連盟発足
大正10年(1921)
〔他国〕
ベルン大学医学部歯学科創設(ベルン大学は1528年創立)
【3月15日】
大学令に基づき、本校を大学(単科大学)に昇格する進達書を文部省に提出
【11月21日】
教授 加藤清治、宮内省侍医寮御用係を拝命
歯科医事・世相一般
【3月】
東洋歯科医学専門学校、日本大学と合併し、校名を「日本大学専門部歯科」と改称
大正11年(1922)
〔他国〕
京城歯科医学校開校(京城歯科医学専門学校、現ソウル大学歯学部の前身)
【6月20日】
新附属医院、鉄筋コンクリート3階建延517坪2合3勺完成
【10月28日】
本校創立満15年および附属医院新築記念祝賀式を挙行
歯科医事・世相一般
【1月】
明華女子歯科医学専門学校設立認可(東洋女子歯科医学専門学校の前身)
【4月】
「健康保険法」公布
大正12年(1923)
【4月1日】
留学生ドクトル 中原實、7ヵ年の欧米留学および視察をおえて帰朝、本校教授に就任
【9月1日】
関東大震災のため、校舎、標本、図書、機械器具その他設備の一切焼失し、損害額金63万1、450円に達する
【11月1日】
本校焼跡にバラックを急造、外来患者実習を開始
歯科医事・世相一般
【9月1日】
関東大震災(M7・9)東京、横浜に大火災起こる。死者14万2、807人

大正13年(1924)
【2月11日】
校長 中原市五郎、多年歯科教育に尽瘁した功により、勲五等に叙せられ瑞宝章を授けられる
【6月20日】
東京市麹町区富士見町6丁目3番地の焼跡1、014坪1号4勺の校地内に鉄筋コンクリート地上3階、地下1階、延坪587坪1号5勺の
本校舎の建築契約を締結
【10月】
校歌(大空流るる暁の…)制定、発表される(作詞 木暮英男、校閲 児玉花外、作曲 近藤栢次郎)

歯科医事・世相一般
【5月】
アメリカで「排日移民法」成立

大正14年(1925)
【1月28日】
鉄筋コンクリート4階建の新校舎完成し、2月2日より新校舎において授業を開始
【4月1日】
「陸軍現役将校学校配属令」公布され、同時に学校教練実施される
【10月12日】
大庭淳一、豊田実の両教授、米国フィラデルフィア開催の第7回国際歯科医学大会に出席

歯科医事・世相一般
【11月1日】
神田⇔上野間開通し、山手線の環状運転開始
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昭和元年~昭和20年
大正15年・昭和元年(1926
【4月1日】
教授 中原實、図書課長に任ぜられる
歯科医事・世相一般
【3月】
「歯科医師会令」公布
【6月】
「健康保険法施行令」公布
【12月25日】
大正天皇崩御、昭和天皇践祚
昭和2年(1927)
【4月8日】
生徒の患者実習用として附属医院に電気エンジンを設置する
【10月2日】
地上3階建の校舎屋上に1階を増築して地上4階とする工事、ならびに区画整理のため物理化学教室の移転工事に着手
【12月2日】
前日本歯科医学専門学校長 原田朴哉氏死去
歯科医事・世相一般
【1月】
「健康保険法」全面施行(医療給付開始)
健康保険歯科診療開始。契約は人頭請負式で一人頭、68銭5厘、診療費点数計算点を10銭とする
【3月】
銀行取付から金融恐慌勃発
【9月】
「診療所取締規則」公布
【12月】
上野⇔浅草間に地下鉄開通
昭和3年(1928)
【4月13日】
御大典記念事業として、将来の体育奨励のため運動場を造り、また合宿所を建設する計画で、
東京府下北多摩郡小金井村字下染谷に6、124坪の土地を購入
【11月6日】
本校附属医院屋上に「日歯招魂社」を新造して、校友の霊を合祀
歯科医事・世相一般
【6月4日】
第1回ムシ歯予防デー開催
【10月12日】
勅令239号により、官立東京高等歯科医学校の創設公布(東京医科歯科大学歯学部の前身、翌昭和4年4月開校)
【11月15日】
従来の牛込駅と飯田町駅を併合し、現在地に飯田橋駅開設
昭和4年(1929)
【10月25日】
校友ならびに学生4、400有余名の拠出金により、校庭に中原市五郎校長の寿像建設され、除幕式挙行(寿像制作:朝倉文夫)
【12月】
中原市五郎校長、日本歯科学会主幹を兼任
歯科医事・世相一般
【4月1日】
医師、歯科医師、薬剤師試験事務を文部省より内務省に移管
【9月】
宮内省雅楽寮の跡地の現在地に、富士見町教会新会堂建設(現助産師会館の場所から移転)
昭和5年(1930)
【4月24日】
米国ノースウエスタン大学歯科科長A・D・ブラック氏夫妻本学来訪
【4月30日】
東京府北多摩郡小金井村大字小金井字下染谷(現在の小金井グラウンド)に木造2階建の合宿所ほか4棟を建造
【11月2日】
2日、3日の両日、中原市五郎を会頭に、加藤清治を会長とし、わが国最初の「日本歯科分科綜合大会」を
神田の帝国教育会館および日本歯科医学専門学校内において挙行
【11月17日】
小金井下染谷に本校運動場完成
歯科医事・世相一般
【1月11日】
金輸出解禁実施
【4月22日】
ロンドン海軍軍縮会議
【10月1日】
東京⇔神戸間に特急「燕」運転開始
昭和6年(1931)
【2月14日】
本校校長 中原市五郎、全国歯科医学専門学校校長を麹町区富士見楼に招待
【4月15日】
本所亀沢町1番地の27に附属医院分院を開設し、生活困窮者の無料診療を開始する。建坪32坪、受付、会計室、治療室等完備
【6月1日】
本校機関誌「歯科医報」を発行
【6月16日】
校長 中原市五郎は、パリで開催の第8回国際歯科医学大会(FDI)に日本代表委員として列席するため東京駅発渡欧の途につく
【11月28日】
校友 青木末弘氏が冬期オリンピック選手氷上監督として渡欧するに先立ち、校友会より記念品を贈る
【12月】
校友 青木末弘氏、第3回冬期オリンピックに氷上選手監督として渡米(レークプラシッド)
歯科医事・世相一般
【9月18日】
満州事変勃発
【11月】
東北・北海道地方に大冷害
昭和7年(1932)
【4月】
中原市五郎、長野県駒ヶ根市赤穂小学校に鉄骨治療椅子を寄付
【6月20日】
校友 蓮見宏氏、第10回オリンピックに陸上選手監督として渡米(ロサンゼルス)
【9月2日】
東京府北多摩郡小金井村貫井の土地187坪を購入
歯科医事・世相一般
【1月28日】
上海事変起こる
【5月】
犬養首相暗殺
昭和8年(1933)
【11月1日】
校長 中原市五郎は、多年教育事業に尽瘁した功により、帝国教育会より金牌ならびに賞状を授与される
歯科医事・世相一般
【3月】
国際連盟脱退
【4月25日】
東京市告示第216号を以て、麹町区富士見町一円を富士見町1丁目と改称

昭和9年(1934)
【6月28日】
新附属医院(延1278・06坪 設計:山口文象)の竣工届を文部省に提出
【7月1日】
新附属医院新築落成祝賀会を2日間にわたり校内において挙行

歯科医事・世相一般
【11月】
ベーブ・ルース来日
昭和10年(1935)
【5月17日】
附属医院本所分院を一時閉鎖する
【6月1日】
日本歯科医学専門学校校友会旗制定される(旗は縦に長く懸垂形で校章を染めぬいたもの)
歯科医事・世相一般
【8月】
東京府で「学校歯科医及幼稚園歯科医に関する規程」制定
昭和11年(1936)
【2月26日?】
2・26事件による戒厳令下東京近郊交通杜絶、本校および病院ともに臨時休校・休診する
【6月5日】
校友 石川周策氏、第11回オリンピックにホッケー監督として渡独(ベルリン)
【7月1日】
「日本歯科医学専門学校創立30年記念誌」発刊
【7月3日】
中原市五郎先生の古稀祝賀会を日比谷帝国ホテルにおいて開催
【9月14日】
校長 中原市五郎、校長を辞任、同時に名誉校長に推戴される
【9月15日】
教授 加藤清治(1885?1957)、日本歯科医学専門学校校長に就任
【11月3日】
加藤清治新校長および中原市五郎前校長の歓送迎会を上野精養軒において開催
歯科医事・世相一般
【2月26日】
2・26事件起こる
【12月】
健康保険組合連合会設立
昭和12年(1937)
【5月13日】
文部省主催国際教育大会の企画による、日本教育機関海外宣伝のため、国際文化振興会会員、永田一脩、
木村伊兵衛両写真技師によって、本校新附属医院および本校舎内部が撮影された
【7月21日】
本校ならびに教職員、校友会、日本歯科学会および学友会より陸海軍に総計金2、587円10銭を献金
【12月15日】
本校教職員より金500円を国防献金
歯科医事・世相一般
【3月】
「母子保護法」公布
【7月7日】
蘆溝橋事件起こる(日中戦争始まる)
昭和13年(1938)
【5月25日】
賀陽宮殿下来校され、附属医院および本館を視察し、教職員と記念撮影
【9月5日】
電気節約のため、後学期から各1時限の授業時間50分を10分短縮して各40分にする
【12月5日】
理事長中原市五郎は、公爵一条実孝氏等の賛同を得て「保健長寿会」を結成
歯科医事・世相一般
【1月11日】
厚生省設置
【4月1日】
「国民総動員法」および「国民健康保険法」公布される。

昭和14年(1939)
【4月1日】
豊田実教授、日本口腔科学会会長に就任
【6月12日】
時局に対応して下記の件を通達し実行する。
1全生徒の長髪を厳禁
2第4学年生徒の背広服着用を禁止
3教職員は礼服(モーニング、フロックコート等)を使用せず、儀式の際は平常服に「国民章」を用いること
4敬礼は挙手の礼を励行
【8月30日】
本校校友会会員で、応召出征する者既に234名に達する。校友会は各地日歯校友会長の協力により、
戦歿校友遺族慰安寄附金募集運動を開始
【9月13日】
戦時中、第3学年生徒の患者実習を廃止

歯科医事・世相一般
【4月】
「船員保険法」公布
「職員健康保険法」公布
関門国道海底トンネル開通
【5月】
「齲歯予防思想普及に関する件」を通達
【9月3日】
第2次世界大戦起こる。
【11月】
日本歯科医師会は健康保険用合金にパラジウム合金を指定
昭和15年(1940)
【2月2日】
本校教職員親睦会の目的を以て「昭和会」を結成。毎年1回中原市五郎先生の誕生日、5月15日に会合することに決定
【8月12日】
理事長、名誉校長中原市五郎は、8月24日ハルピンにおいて開催の皇紀二千六百年記念満州歯科医学大会に出席のため、
国分史楼教授とともに東京を出発
歯科医事・世相一般
【3月】
陸軍歯科医将校設置
【6月】
厚生省の火災により、医籍、歯科医籍など原簿一部消失
【9月】
日独伊三国同盟調印
【11月】
「国民服令」公布
【11月7日】
全国歯科医学専門学校合同主催の「皇紀二千六百年記念式典」神田共立講堂において開催
昭和16年(1941)
【3月22日】
日本歯科医学専門学校創立者 中原市五郎先生逝去される
【3月23日】
教授 中原實、財団法人日本歯科医学専門学校理事長に就任
【4月17日】
故中原市五郎先生の学校葬、青山斎場において執行
【12月18日】
学則一部の改正を行い、本校の制服を国民服(乙号)とする
【12月23日】
本年度卒業生の中で、大学医学部進学希望者のために臨時補習科を開設
【12月27日】
勅令に基づき卒業期を3ヵ月短縮して、繰上げ指定第31回卒業式を挙行、157名に卒業証書を授与
歯科医事・世相一般
【5月】
海軍歯科医武官を設置
【12月8日】
太平洋戦争起こる(宣戦布告)。日本軍真珠湾攻撃
昭和17年(1942)
【3月17日】
3月17日より20日間、各学年軍需工場に勤労奉仕
【3月22日】
故中原市五郎先生一周忌追悼会を学校および校友会、合同で本校講堂において開催
【3月23日】
故中原市五郎先生の弔慰金および校友の寄附金を以て、先生の大理石の納骨堂が先生の銅像の直後に設立され、
御遺骨の納骨式を挙行
【11月19日】
本校において、戦歿校友31柱の慰霊祭を執行
【12月】
「日本口科学会雑誌」(昭和15年まで「日本歯科学会雑誌」)、昭和17年12月限りで廃刊する
歯科医事・世相一般
【1月】
学徒勤労動員開始
【2月25日】
「国民医療法」公布
【4月18日】
米陸軍機、日本本土を初空襲
【8月】
「医師会及歯科医師会令」公布
【11月】
関門海底鉄道トンネル開通
【12月】
アメリカ、原子核分裂に成功
昭和18年(1943)
【1月4日】
加藤清治校長、日本歯科医師会副会長に任命される
【3月14日】
本年度入学志願者1,200名を突破したため、法政大学校舎も借用して入学試験を行う
【10月15日】
各学年生徒、国分寺駅前に集合し、全員を4小隊に区分して、徒歩行軍を行い、小金井の本校運動場において、
グライダーの命名式を挙行。「八元」と命名
歯科医事・世相一般
【1月18日】
国民医療法に基づく日本歯科医師会設立認可。従来の日本歯科医師会自然解散
【7月1日】
東京都政実施
昭和19年(1944)
【5月30日】
故中原市五郎先生の寿像は、軍需資材として軍部に供出することとなり、その壮行式を寿像前において挙行
【7月6日】
7月6日より1週間、本校において、歯科医師に対して、医学講習会を開催(聴講者100名を突破)
歯科医事・世相一般
【6月】
北海道有珠郡に昭和新山誕生
【10月】
神風特攻隊編成
【11月24日】
米軍機B29、約80機で東京を初大空襲
昭和20年(1945)
【3月10日】
B29の爆撃により本校は、病棟、講堂、実習教室を全焼、附属医院も多大の損害を蒙り、被害総坪数940坪に及んだ。
また本校教職員罹災者20名に及ぶ
【10月23日】
連合軍司令部の命令に基づき、毎月本校における研究月報を、連合軍に報告することとなる
歯科医事・世相一般
【3月10日】
米軍機B29、東京各地を無差別爆撃
【4月5日】
「医師免許の特例に関する件」公布(歯科医師より医師への転換)
【8月】
米軍、広島と長崎に原爆投下
ソ連参戦
【8月15日】
天皇陛下、ラジオで全国民に終戦の詔書を放送
【9月2日】
ミズーリ号艦上で降伏文書調印(太平洋戦争完全終結)
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昭和21年~昭和40年
昭和21年(1946)
【2月9日】
日本歯科学会復旧
【2月16日】
財団理事会において、本校を日本歯科大学に昇格することを決議
【4月15日】
連合軍司令部公衆衛生部(PHW)の斡旋で「歯科教育審議会」成立。
会は歯科医学専門学校長、教員、日本歯科医師会理事、学識経験者ならびに文部、厚生両省の関係官を委員に選び、
戦後の歯科教育制度について審議することを目的とした。本校から委員に加藤清治、榎恵、山崎清の3氏が任命された。
また本校関係者では高橋新次郎、原田良種、堀 武、入交直重、真鍋満太、永松勝海の諸氏も委員に任命された
【5月30日】
戦争で罹災した附属医院の内外の化粧を終わる。当時東京市内におけるビルディング復興の先鞭となった
【11月1日】
教職員の交誼を温め、かつ扶助の実を挙げるため、学内に自発的に「日歯相互扶助会」結成される
【12月10日】
日本歯科大学(旧制)設立認可申請書を文部省に提出
歯科医事・世相一般
【2月】
アメリカで世界初のコンピュータENACを完成
【4月】
大学・専門学校で男女共学(女子学生受入)
【7月19日】
東京歯科大学設立認可(旧制歯科大学)。
【11月】
「日本国憲法」公布
昭和22年(1947)
【5月10日】
本校は文部省よりA級校と判定される
【6月18日】
日本歯科大学(旧制)設立認可。日本歯科医学専門学校校長加藤清治は大学学長事務取扱に就任 大学予科を開設(武蔵野市関前)
【8月25日】
本学予科帽章制定さる(南天の葉)
【11月2日】
校庭において、大学昇格祝賀式、ならびに創立40周年記念式を故中原市五郎先生寿像前において挙行。
午後1時より学内において学術講演会を開催
【12月13日】
学長事務取扱・法人理事 加藤清治、辞任
歯科医事・世相一般
【4月1日】
第1回歯科医師国家試験(学科)、帝大において施行。
【4月】
「労働基準法」公布
「独占禁止法」公布
【9月】
キャサリン台風上陸
【11月1日】
日本医師会、日本歯科医師会設立
昭和23年(1948)
【1月10日】
教授 中原實、日本歯科医学専門学校長兼日本歯科大学学長に就任
【5月26日】
本学予科学生を動員して、小金井運動場の大整備をする
【10月】
「日本歯科大学歯学会」発足
【10月25日】
本学の言論報道機関として「日本歯科大学新聞」第1号発行
歯科医事・世相一般
【1月】
帝銀事件
【4月】
世界保健機関(WHO)設立
【7月30日】
法律第202号を以て、現行歯科医師法制定。法律第204号を以て「歯科衛生士法」公布され、歯科衛生士誕生
【8月】
社会保険診療報酬算定協議会設置
昭和24年(1949)
【1月25日】
本財団理事佐藤精、米国歯科教育視察のため横浜港出航(歯科医師の戦後初の渡米)
【4月8日】
本学歯学部第1学年開設
【5月20日】
学術機関雑誌「歯学」発行
【5月27日】
5月8日付で申請した本学附属病院は、新規定により、病院の開設およびその使用を許可され本邦最初の歯科病院として発足
歯科医事・世相一般
【4月】
1ドル360円に設定
【12月】
「私立学校法」公布
昭和25年(1950)
【2月1日】
教授 山崎清、歯科医師国家試験審議会委員に任命される。清水静雄、杉崎寿教授、歯科医師国家試験委員に任命される
【10月1日】
本学予科徽章(南天の葉)を廃止して「歯大」の徽章を着用することに決定
歯科医事・世相一般
【1月】
千円札発行
【6月25日】
朝鮮事変勃発
【6月】
アメリカ・シカゴで腎臓移植に成功
昭和26年(1951)
【2月15日】
私立学校教育法の規定に基づき、財団法人日本歯科大学の組織を変更して「学校法人日本歯科大学」設立(認可2月27日付)
【7月2日】
米国歯科医師会会長オッピース(Oppice)博士を団長とする米国使節団一行5名、日本各地の歯科大学視察と歯科医師会との
協議および講演のため、1ヵ月滞在の予定で訪日
【12月13日】
東京歯科大学学長 奥村鶴吉、大阪歯科大学学長飯塚淳一郎の両氏本学に来校、学長中原實と会見し、大学行政等について懇談
【12月20日】
武蔵野市関前の予科校舎を売却
歯科医事・世相一般
【1月3日】
第一回NHK紅白歌合戦
【4月】
大阪大学歯学部開設
五百円札発行
【5月】
WHO 日本の加盟を承認
昭和27年(1952)
【3月25日】
専門学校指定第41回卒業式を第5講堂で挙行。専門学校最後の卒業生174名を社会に送る
【4月1日】
学校教育法に基づき、旧制日本歯科大学は、「新制日本歯科大学」に昇格
【4月1日】
ドクトル 入交直重氏(日本歯科医学専門学校認定第1回卒)日本歯科医師会会長に就任
【10月30日】
学長 中原實以下教授、主事全員および監事西沢金造、校友 中村英男、石川周策等の諸氏、東京歯科大学の招きに応じて同大学を
訪問
歯科医事・世相一般
【12月】
生きた化石:シーラカンス発見
昭和28年(1953)
〔他国〕
ヘブライ大学歯学部(アルファ・オメガ・フラタニティ設立ハダッサ歯学部)、イスラエル・エルサレムに設立
【2月4日】
中原實学長の還暦祝賀会、虎の門共済会館において挙行
【3月1日】
学部第1回(通算42回)卒業式、第5講堂において挙行、35名の新しい「歯学士」を社会に送る
【3月21日】
本学創立者故中原市五郎先生の13回忌法要
【3月22日】
故中原市五郎先生の銅像(作者・朝倉文夫氏による再鋳造)除幕式および記念学会を挙行
歯科医事・世相一般
【2月】
NHKがテレビ放送開始
【8月】
民間テレビ放送開始
【9月】
第16回国会で、歯科医師法第19条第3項の規定が削除され、歯科医師の死亡診断書復活。

昭和29年(1954)
【6月4日】
口腔衛生週間に応じて、本学では校内展示会、無料口腔診査、学生の都内街頭啓蒙活動などを行い、口腔衛生普及に貢献
【7月2日】
医学、歯学関係大学院設置審議委員会開催。歯科界から豊田実(日歯大)、溝上喜久男(東歯大)、長尾優(医歯大)の三氏出席

歯科医事・世相一般
【9月】
青函連絡船「洞爺丸」転覆
【12月28日】
社会保険診療に対する租税持別措置法公布(課税率28%)
昭和30年(1955)
【1月8日】
日本歯科大学「進学課程」設置申請書を文部省に提出、昭和30年4月1日進学課程を設置
同時に従来の予科を廃止
【8月15日】
中央線飯田橋駅西口前、千代田区富士見町2丁目4番地の宅地1、213坪を校地として購入
(現在の生命歯学部体育館、附属病院用地)
【10月20日】
中原實学長、日本代表として、日本と中華人民共和国との間に、医学知識の交流、文献資料の交換、ならびに相互友好の目的を以て、
羽田より中国に出発
歯科医事・世相一般
【8月】
「歯科技工法」制定
【10月】
第1回アジア歯科会議(日本)
昭和31年(1956)
【10月1日】
中原實学長、文部大臣より、私立大学審議会委員に任命さる
【11月2日】
中原實学長と日置清雄教授は、天皇、皇后両陛下主催の園遊会に招かれ、夫人同伴で皇居に参内
【2月5日】
新医療費体系施行反対のため、全国歯科代表者6千名、神田一ツ橋共立講堂で、全国総決起大会を開催
歯科医事・世相一般
【4月】
医薬分業実施
【12月18日】
日本の国連加盟決定
昭和32年(1957)
【5月16日】
本学に「大学院」設置のため、大学院設置準備委員会を設ける
【5月28日】
前日本歯科医学専門学校長加藤清治氏死去
【10月】
中原實学長、文部省より私立大学研究設備審議会委員を委嘱される
【12月30日】
6月12日着工した進学課程の施設、鉄筋コンクリート3階建の校舎完成(講堂3室、化学、生物、物理の各実習教室および教授室)
歯科医事・世相一般
【10月】
五千円札発行
【10月4日】
ソ連、人工衛星の打上げに成功(世界最初)
【12月】
百円硬貨登場
昭和33年(1958)
【3月24日】
3月24日より30日まで、第2回アジア歯科会議、フィリピンのマニラで開催され、本学より理事佐藤精、教授丹羽輝男(衛生学)出席
【9月4~6日】
歯学連第1回全日本学生体育大会開催(参加校、東京医歯大、日本歯大、東京歯大、日大歯、阪大歯、九州歯大、
その他衛生士校3校、合計10校350名)
【9月25日】
日本歯科大学新聞、第100号記念特集号を発行
歯科医事・世相一般
【4月】
「学校保健法」公布
ブリュッセルで戦後初の万国博覧会開催
【12月】
国民健康保険法公布
一万円札発行
東京タワー完工
昭和34年(1959)
【4月10日】
前年6月起工した鉄筋コンクリート5階建、延1、000余坪の基礎医学教室(細菌、病理、薬理、生理、衛生学の基礎医学教室、
実習室、研究室のほか、保存、補綴、矯正の各研究、実習室等)完成
【7月4日】
両国回向院より導師を招き、第5講堂において実験動物の慰霊祭を施行。以来毎年1回定期的に行事を開催
歯科医事・世相一般
【1月】
メートル法施行
【3月23日】
第1回全国7歯科大学卒業生祝賀会、目白椿山荘にて開催
【9月】
伊勢湾台風
アメリカ歯科100年祭
【12月】
個人タクシー許可
昭和35年(1960)
〔他国〕
周汝川氏(29回)、台中市に中山牙科専科学校を創立(中山医学大学の前身)
【4月1日】
大学院歯学研究科博士課程を設置
【4月10日】
富士見町2丁目4番地に女子寮を開設
【9月10日】
本学附属病院に内科および外科の2科を新設
歯科医事・世相一般
【5月】
チリ地震により太平洋沿岸に大津波
【6月】
医療金融公庫法公布
昭和36年(1961)
【5月5日】
中原實学長、多年歯科教育に尽瘁した功により藍綬褒賞を授与される
【5月31日】
学校教育法第98条第1項の規定に基づき存続していた日本歯科大学(旧制)を昭和36年3月31日限り廃止
【12月25日】
本学PR機関として企画部を新設、主事橋本健吉(詩人:北園克衛)、部長に任命される
歯科医事・世相一般
【4月】
愛知学院大学歯学部開設
国民皆保険実現
ソ連の有人宇宙船ボストーク1号が地球一周
【12月】
ニセ千円札事件(秋田)
第3回アジア歯科会議(日本)
昭和37年(1962)
〔他国〕
ブリティシュ・コロンビア大学に歯学部創設
【3月31日】
中原實学長は、無投票で日本歯科医師会長に選ばれ、会長に就任
【6月1日】
創立記念日式典、初めて本学校庭、創立者故中原市五郎先生霊堂前において厳粛に挙行される
【6月20日】
本館地下室RI綜合研究室完成。総坪58・53坪
【12月6日】
第5講堂において、僧侶3名、遺族、学校教職員、専門課程第1学年生徒参列のもとに解剖慰霊祭(第1回)挙行
歯科医事・世相一般
【8月】
国産旅客機「YS11」初飛行
マリリン・モンロー急死
昭和38年(1963)
【2月20日】
本学の原色版8枚1組の絵葉書、企画部で発行
【4月1日】
本学課制を改めて、部制に変更。従来の課は、教務、庶務、経理、人事、用度営繕、厚生、企画、図書、文書、院務、学生部の11部となる
【8月15日】
8月15日より24日まで、本学および学生会主催の無歯科医村診療班(団長日置清雄教授以下団員10名)山形県最上郡大蔵村で診療
【8月15日】
全国総調和連盟大会、両国日大講堂にて開催(会長 中原實)
歯科医事・世相一般
【11月】
アメリカのケネディー大統領暗殺される
昭和39年(1964)
【1月15日】
従来の日本歯科大学新聞発行所の名称を「日本歯科大学新聞会」と改称、編集兼発行人に中原泉氏が就任
【3月15日】
中原實学長、日本歯科医師会会長に再選される
【3月15日】
本学、学位審査委員会開催。大学院歯学研究科第1回修了生の中原爽(口腔外科学)、三輪東彦(細菌学)、早川宏(衛生学)、
杉山伸顕(補綴学)の4氏の学位論文通過が認められる
【9月10日】
本学企画部は徳川時代より明治初期に至る歯学に関する英文パンフレット「Once upon a time」発行
【9月15日】
9月15日より11月5日まで、代々木オリンピック選手村診療所で各医局が交代出張診療
【11月22日】
小金井運動場の大修理完成、グラウンド開きを行う
歯科医事・世相一般
【4月】
神奈川歯科大学開設
【6月】
新潟大地震
【10月】
東海道新幹線営業開始
【10月】
オリンピック東京大会開催
第4回アジア歯科会議(シンガポール)
【11月15日】
東京都歯科医師会創立70周年記念式典挙行
昭和40年(1965)
【1月10日】
英文の要覧“Prospectus of Nippon Dental College"完成発行(企画部)
【4月15日】
本学正門前北寄り、富士見町1丁目3番地15号の土地、16坪7合4勺(木造2階建21坪5勺の建物付)を食堂建設のため購入
【7月10日】
本学第1期増改築工事、第5講堂の大改造、本館裏陸橋側の空地に鉄骨3階建物の増築に着工。また小金井運動場の武道館の改装完成
【11月10日】
戦時中より永年停止された病院のエレベーターは、手術台を運べる大きさに拡大改修して使用を開始 コンポジットレジン発表(アメリカ)
【1月4日】
日本歯科医師会企画、学研映画製作の「テレビ歯学講座」が本年度より、NETテレビで毎週1回(月曜日)開始される
歯科医事・世相一般
【4月】
東北大学歯学部開設
新潟大学歯学部開設
広島大学歯学部開設
岩手医科大学歯学部開設
【6月】
「日韓基本条約」締結
【10月】
朝永振一郎氏、ノーベル物理学賞受賞
【11月】
戦後初の赤字国債発行
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昭和41年~昭和63年
昭和41年(1966)
〔他国〕
トゥルク大学歯学部創設
【3月18日】
中原實学長、第39回通常代議員会の役員選挙において、日本歯科医師会会長に三選される
日本歯科医師会の歴史始まって以来の三選会長
【4月29日】
中原實学長、春の叙勲において、わが国歯科界最高の勲二等に叙せられ瑞宝章を賜わる
【6月1日】
創立60周年記念式典が中原市五郎先生霊堂前において挙行される
【9月15日】
島根県知夫郡西ノ島(隠岐の離島)に本学歯科診療所を開設し、年間を通じて診療に従事
【10月1日】
本学所在地番地、千代田区富士見1丁目9番20号(旧富士見町1丁目3番地3)と変更。また大学院は8番3号に変更
【10月8日】
中原實学長叙勲(勲二等瑞宝章)祝賀会、校友会主催により日比谷帝国ホテル大ホールで開催、参会者1千名を超過
【11月27日】
港区正則学園で開催中の第9回秋季関東医歯薬剣道大会で剣道部優勝、本学は3年連続優勝
歯科医事・世相一般
【3月】
総人口1億人突破
【5月】
日本学校歯科医会「学校保健のてびき」発行
【6月】
ビートルズ来日
【8月】
中国「文化大革命」の嵐
昭和42年(1967)
〔他国〕
第5回APDC(韓国)
【3月7日】
第1回全日本歯科大学スキー大会で本学スキー部優勝
【3月31日】
中原實学長、日本私立大学協会副会長に就任
【4月20日】
日本歯科大学新聞第200号刊行
【6月1日】
創立61周年記念式典で60周年記念品として、教職員ならびに来賓に、世界最古の歯科医といわれるヘサイヤの坐像を製作し、
贈呈(高さ13㎝、二科会会員乗松巌氏作、希望校友には実費で頒布)
【1月14日】
本学附属病院、大増築工事に着手
【10月20日】
校友 満岡文太郎氏(21回卒)は明年6月施行の次期参議院選挙に対し、歯科界単一推薦候補に決定されていたが、
自由民主党より全国公認候補となる
歯科医事・世相一般
【6月】
北海道大学歯学部開設
九州大学歯学部開設
【11月】
歯科医療経済実態調査実施
【12月】
アメリカのスタンフォード大学、DNAの人工合成
昭和43年(1968)
【4月25日】
葛飾区金町に附属技工士専門学校(校長は中原實学長)を開校し、第1回入学式を挙行
【9月9日】
飯田橋駅前大学用地で、体育館、技工士専門学校建設の合同地鎮祭
【9月】
中原實学長就任20周年を記念して「中原實学長告辞集」を出版
【12月1日】
歯科界待望の「和英独ラ・歯科用語集」が学生の編集により完成(日本語見出し約6,000)
歯科医事・世相一般
【10月】
川端康成氏、ノーベル文学賞受賞
【12月】
三億円強奪事件
昭和44年(1969)
【7月22日】
22日から25日まで日本歯科大学主管により第2回全日本歯科学生総合体育大会が開催された(参加15校、2、876人)
【12月11日】
飯田橋駅前の本学校地に最新式を誇る近代的体育館、新築完成(設計:岡田新一) 歯科診療アポイントシステム発表
歯科医事・世相一般
【7月】
アメリカのアポロ11号月面着陸
昭和45年(1970)
〔他国〕
第6回APDC(バンコク)
【6月29日】
法人理事会において新潟県新潟市浜浦町に、日本歯科大学新潟歯学部増設を決議
【7月】
厚生施設として南軽井沢(レイクニュータウン)にロッジを購入(敷地約3、000坪、建物延249坪)
【10月】
附属病院の改造工事完了(増築部分約100坪、地下1階、地上6階に改造)
歯科医事・世相一般
【1月】
ボーイング747型機(ジャンボジェット機)登場
【2月】
日本初の人工衛星「おおすみ」打ち上げ成功
【3月】
万国博覧会開催(大阪)
「よど号」事件
【4月】
城西歯科大学開設(明海大学歯学部の前身)
【5月】
鶴見大学歯学部開設
【8月】
歩行者天国(東京)
【11月】
三島由紀夫氏割腹自殺
昭和46年(1971)
【4月】
附属歯科専門学校(歯科技工士科・歯科衛生士科)を附設
【8月】
「日本歯科大学60周年誌」刊行(A5判、1、116頁 昭和35年に編集に着手)
【10月】
新潟歯学部校舎完成(本館、病院、1?3号館、設計:岡田新一)
【12月16日】
大学設置審議会・私立大学審議会の両総会において新潟歯学部の増設、認可決定 パノラマレントゲン登場
歯科医事・世相一般
【4月】
日本大学松戸歯学部開設
岐阜歯科大学開設(朝日大学歯学部の前身)
【8月】
ドル・ショック
【9月】
日清食品「カップ・ヌードル」発売
【11月】
社団法人日本学校歯科医会発足
昭和47年(1972)
【1月12日】
附属歯科専門学校歯科衛生士科で初の戴帽式
【4月1日】
新潟歯学部発足。新潟歯学部長に清水静雄教授
【4月11日】
新潟歯学部で初の入学式
【7月1日】
校友会定例理事会を新潟校で開催(新潟歯学部見学を兼ねた初の移動理事会)
歯科医事・世相一般
【1月】
元日本兵横井庄一氏救出(グアム島)
【2月】
第11回冬季オリンピック札幌大会開催
【2月】
浅間山荘事件
【4月】
松本歯科大学開設
東北歯科大学開設(奥羽大学歯学部の前身)
日本歯科大学新潟歯学部開設
【10月】
全国歯科公衆衛生大会開催
昭和48年(1973)
【4月】
新潟歯学部2期工事完成(4号館、講堂、動物舎、1号館3階増築)
【4月25日】
中原實学長日本私立大学協会会長に就任
【4月29日】
中原實学長勲二等旭日重光章を授与される
歯科医事・世相一般
【1月】
老人福祉法改正(70歳以上の医療無料化)
【4月】
福岡歯科大学開設
【7月】
医事紛争に関する研究会(厚生省)
【8月】
医療システム開発調査室(厚生省)
第一回歯学研修セミナー発足(日本歯科医師会)
金大中氏事件
【10月】
第1次オイルショック
【12月】
江崎玲於奈氏 ノーベル物理学賞受賞

昭和49年(1974)
〔他国〕
第7回 APDC(ジャカルタ)
【6月1日】
歯学部新図書館建設工事のため本年度の創立記念式典を中止
【7月】
歯学部6号館増築工事竣工
【9月6日】
9月6日から8日までの3日間、新潟歯学部で初の歯学会総会・大会が開催された
【10月28日】
新潟歯学部校舎が昭和49年度建築業協会賞(第15回BCS賞)に入賞し、最優秀作品として建築賞を授与される
【12月】
新潟歯学部第4期工事(体育館)に着工

歯科医事・世相一般
小野田元陸軍少尉救出(ルパング島)
【8月】
三菱重工ビル爆破事件
【10月】
三井物産爆破事件
佐藤栄作氏 ノーベル平和賞受賞
昭和50年(1975)
【7月】
新潟歯学部体育館竣工
【4月】
「歯学会会報」創刊
歯科医事・世相一般
【1月】
「日本歯科医学会会報」創刊
【2月】
歯科診療に対する苦情・相談処理状況発表(厚生省)
消費者団体「歯の110番」開設
【4月】
「雇用保険法」施行
日本歯科医学会「学術用語集歯学編」出版
ベトナム戦争終結
【7月】
「私立学校振興助成法」制定
沖縄海洋博覧会開催
アポロ宇宙船、ソユーズ19号とドッキング
【10月】
国保/高額療養費制度実施
【11月】
初の主要先進国首脳会議(サミット)フランスで開催
【12月】
大学設置基準改正
昭和51年(1976)
【1月1日】
日本歯科大学の大学英語名称を“College"から“University"に変更
【6月1日】
歯学部校庭において創立70周年記念式典を挙行
【10月1日】
附属歯科専門学校、各種学校から専修学校に昇格
【11月23日】
創立70周年記念全国校友大会が開催される。2、618名の校友が参加。式典に先立ち記念講演会開催
歯科医事・世相一般
【1月】
超音速旅客機「コンコルド」パリ?ロンドンに就航
【2月】
ロッキード事件発端
【8月】
歯科差額診療全面廃止
昭和52年(1977)
〔他国〕
第8回 APDC(マニラ)
【1月11日】
新潟歯学部5年生附属病院に初登院
【5月19日】
各学年学業優秀者・皆勤者に校友会奨励賞授与(新潟歯学部では5月25日に授与)
【秋】
歯学部7号館竣工
歯科医事・世相一般
【4月】
徳島大学歯学部開設
昭和大学歯学部開設
日本歯科材料機器研究協議会発足
接着性コンポジットレジン修復システムが世界に先駆け日本で開発される
【6月】
1歳6ヶ月児健診実施通知
【9月】
王貞治選手、ホームラン756号
昭和53年(1978)
【3月30日】
新潟歯学部初の卒業式 卒業生75名 「むし歯予防推進指定校」設置(文部省)
歯科医事・世相一般
【3月】
「小学校/歯の保健指導の手引き」作成(文部省)
【4月】
鹿児島大学歯学部開設
東日本学園歯学部開設(北海道医療大学歯学部の前身)
【5月】
成田空港(新東京国際空港)開港
【6月】
「ムシ歯をなくそう母と子の集い」開催
【7月】
日本人の平均寿命世界一に
試験管ベビー誕生
【10月】
医療法改正により歯科診療科名に「矯正歯科」「小児歯科」が標榜可になる
昭和54年(1979)
〔他国〕
第9回 APDC(クアラルンプール)
【4月1日】
新潟歯学部長に中原泉教授就任
【6月】
軽井沢ロッジのテニスコートが整備され、学生および教職員に貸し出される
【9月10日】
歯学部附属病院の5階総合診療室を全面改装 超音波スケーラー登場
歯科医事・世相一般
【1月】
国公立大学で共通一次試験実施
【5月】
保健所法改正により、歯科医師・歯科衛生士が保健所職員に追加される
【6月】
東京サミット開催
【10月】
WHOが天然痘撲滅を宣言
昭和55年(1980)
【5月31日】
帝国ホテルにおいて中原實学長の米寿を祝う会開催
【8月4日】
全国初の「心身障害児歯科センター」新潟歯学部病院に開設
【9月19日】
中原實学長、日本歯科医師会初の名誉会長(終身)に推戴される
【12月】
新潟歯学部7号館竣工
歯科医事・世相一般
貴金属大暴落
日本デンタルショー
【4月】
岡山大学歯学部開設
長崎大学歯学部開設
【5月】
アメリカのセント・ヘレンズ山大噴火
【9月】
イラン・イラク戦争勃発
昭和56年(1981)
〔他国〕
第10回 APDC(シンガポール)
【4月1日】
学長に中原爽歯学部長(49回)が就任。本学創立以来5代目の学長
【6月2日】
新潟歯学部に医科病院開院(内科・外科・耳鼻科)
【11月29日】
校友会主催による学長・歯学部長特別講演会を京王プラザ国際会議場で開催(中原爽学長「歯学教育の歴史考察」、
中原泉新潟歯学部長「浮世絵と歯科」)
歯科医事・世相一般
【3月】
国際障害者年
死因として、ガンが脳卒中を超える
【4月】
アメリカのスペースシャトル「コロンビア」処女飛行
【10月】
福井謙一氏 ノーベル化学賞受賞
歯科インプラント登場
昭和57年(1982)
【1月11日】
新潟歯学部に歯周治療科を増設し診療を開始
【4月】
専任教職員を対象とした定年制度を実施(職員65歳、教員70歳)
歯科医事・世相一般
【2月】
ホテルニュージャパン火災
日航機、着陸直前羽田沖に墜落
【4月】
唇顎口蓋裂の矯正歯科治療が保険導入
歯科技工士免許が厚生大臣免許に
五百円硬貨発行
【6月】
東北新幹線営業開始
【8月】
老人保健法成立
【11月】
上越新幹線営業開始
昭和58年(1983)
【1月5日】
全国初の試みとして新潟歯学部登院生に医科臨床実習を開始
【4月】
日本歯科大学附属新潟専門学校開校(歯科衛生士科・中原泉校長)
【6月10日】
中原實理事長、私立大学協会から感謝状を授与される
歯科医事・世相一般
【4月】
東京ディズニーランド開業
【11月】
アジアで初のFDI年次世界歯学大会が東京で開催された(第15回日本歯科医学会総会と併催)
昭和59年(1984)
〔他国〕
第11回 APDC(香港)
【7月17日】
7月17日から22日まで、「中原實絵画展」が東京セントラルアネックスで開催された。
絵画展記念行事として同展の他、画集の出版とリトグラフ(「猫の子」限定500部)を制作
【8月1日】
学校法人日本歯科大学新理事長に中原爽学長就任。中原實前理事長は名誉学長に
【9月5日】
歯学部再整備の第1期工事として附属歯科専門学校の新築工事に着工
【9月7日】
ミシガン大学歯学部と姉妹校提携
【11月24日】
校友会会長に多和田泰一教授(19回)を選任
【12月27日】
真泉平治教授、日本歯科医学会会長に選出される(任期は昭和60年4月から) 西ドイツで光重合型歯冠用硬質レジン開発
歯科医事・世相一般
【5月】
歯科医師需給問題検討委員会設置(厚生省)
NHK、衛星放送開始
【10月】
特定療養費制度導入
退職者医療制度創設
昭和60年(1985)
〔他国〕
第12回 APDC(タイ)
【8月10日】
歯学部附属歯科専門学校新校舎竣工
【9月18日】
パリ第7大学歯学部と姉妹校提携
【9月30日】
歯学部再整備計画第2期工事として飯田橋駅前に附属病院の新築に着工
【11月25日】
新潟歯学部緑館新築落成
【12月5日】
華西医科大学口腔医学院と姉妹校提携 国産光重合型コンポジットレジン発売
歯科医事・世相一般
【3月】
わが国初のエイズ患者確認
つくば科学万博開催
【4月】
NTTとJTが発足
【5月】
男女雇用均等法成立(衆議院)
【8月】
日航機123便が群馬県の御巣鷹の峰に墜落
昭和61年(1986)
【3月13日】
スイスのベルン大学歯学部と姉妹提携
【5月16日】
校友会会頭に中原爽学長。オークラホテル新潟で「学長招待国際歯学研修会合同懇親会」開催
【5月17日】
新潟歯学部で第1回国際歯学研修会開催
【6月1日】
歯学部校庭で創立80周年記念式典挙行
【6月7日】
軽井沢ロッジ竣工(使用開始は7月12日から)
【7月】
ミシガン大学と初の交換学生
【8月27日】
ヘブライ大学歯学部と姉妹校提携
【11月15日】
帝国ホテルにおいて創立80周年記念校友大会開催、参加者3、200余名
富士見寮OB会「日本歯科大学富士見寮思い出集」を刊行
歯科医事・世相一般
【4月】
歯科医師国家試験、年1回となる
チェルノブイリ原発、爆発事故
【8月】
東京サミット開催
【12月】
「医療法」が改正され一人医師医療法人設立認可
【11月】
三原山大噴火
昭和62年(1987)
【4月】
日本歯科大学新潟短期大学(歯科衛生学科)開校。歯科大学が短期大学を設置するのは全国で初めて
【5月16日】
第92回定時総会において校友会会長に園山昇教授(34回)選任
【5月23日】
昭和62年度歯学会総会において歯学会会長に須賀昭一教授選任
【6月15日~17日】
ミシガン大学で、第2回国際歯学研修会開催。メインテーマ「保存修復学‐将来の方向」
【6月20日】
カナダのブリティシュ・コロンビア大学(UBC)歯学部と姉妹校提携
【9月】
新潟歯学部附属病院において、病院診療の一環として、「在宅歯科往診ケア」を開始
【10月5日】
歯学部附属病院開院。飯田橋駅前に超近代的な9階建て新病院竣工・開院
【10月】
高齢者歯科対策として、高齢者歯科診療科の活動を開始
【10月15日】
イギリスのマンチェスター大学歯学部と姉妹校提携
【12月】
国際姉妹校連合の情報交換誌「IUSOHニューズレター」第1号を作成

歯科医事・世相一般
【4月】
国鉄が民営化され、JRが誕生
【10月】
利根川進氏、ノーベル医学生理学賞受賞
昭和63年(1988)
〔他国〕
第13回 APDC(インド)
【4月】
旧附属病院記念誌「懐かしの旧病院」上梓。また解体の永久記念として、旧附属病院の躯体部分を封入した文鎮を製作
【6月7日】
タイのマヒドン大学歯学部と姉妹校提携
【6月】
新潟歯学部附属病院に「心身障害者歯科センター」開設
【7月16日・17日】
第3回国際歯学研修会を歯学部において開催。メインテーマ「歯科インプラント」
【10月19日】
フランスのパリ第7大学と、大学間の学術に関する協力協定を締結
【10月21日】
千葉県袖ヶ浦のセミナーハウス開所式開催
【12月5日】
中原泉新潟歯学部長、第1回鳳凰功労賞受賞。医学を通し国際交流に尽くした功績により受賞
【12月】
歯学部図書館がオンライン情報検索サービスを始める

歯科医事・世相一般
【3月】
青函鉄道トンネル開通
東京ドーム誕生
【4月】
瀬戸大橋(坂出・児島ルート)開通
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平成元年~
昭和64年・平成元年(1989)
〔他国〕
第14回 APDC(韓国)
【5月13日】
第96回定時総会において、校友会の会長に朝比奈敏行氏(37回)選任
【6月30日】
本学主催による初の国際姉妹校連合(IUSOH)レセプションをアイルランドのダブリンにおいて開催
【7月29日】
新潟歯学部8号館竣工式を挙行。鉄筋コンクリート造り・地上3階建て
1階・レストラン、2階・医の博物館、3階・基礎系研究室となる
新潟キャンパスでは14番目の建物
【9月4日】
「医の博物館」開館式挙行
【9月24日~10月2日】
武蔵野市民文化会館で「中原實展」開催
前衛美術のパイオニア中原實名誉学長の作品と史料を展示・陳列
【12月】
新潟歯学部7号館4階に大学院関係室竣工
1988年8月着工
1990年正月明けより研究室等の使用を開始
歯科医事・世相一般
【1月7日】
昭和天皇崩御、今上天皇践祚され、年号を「平成」と改元
(平成元年)
【4月】
消費税実施
【6月】
天安門事件(中国)
平成2年(1990)
【1月】
歯学部附属病院ニュースレター発刊。来院患者さん向けで隔月に発行
【3月19日】
申請中だった大学院の新潟歯学研究科が、文部大臣より設置認可証を受ける
【3月27日】
須賀昭一教授、IADR優秀科学者賞を受賞
1990年度の優秀科学者のひとりに選ばれ、9部門賞のひとつである「生物石灰化基礎研究賞」を受賞
【4月1日】
大学院新潟歯学研究科開設
【7月23日~8月3日】
第22回歯学体が、歯学部主管、中原爽学長が連盟会長となり開催
【9月23日】
第4回国際歯学研修会、新潟歯学部において、「最近の歯科修復材料」をテーマに開催
【10月15日】
中原實名誉学長逝去。享年97歳(97歳8ヶ月)
日本歯科大学名誉学長、日本歯科医師会名誉会長、日本私立大学協会顧問、二科会名誉理事
【11月18日】
中原名誉学長合同葬が、日本歯科大学・日本歯科医師会・日本私立大学協会の合同葬により、
東京・港区の青山葬儀場において、関係各界および全国各地から3千人が参列して執り行われた
【12月】
中原爽会頭が全国歯科大学・歯学部同窓・校友会の総意により、次期日歯会長候補に推薦される
歯科医事・世相一般
【1月】
大学入試センター試験はじまる
【4月】
大阪、花の万博開催
【6月】
第一回日本国際歯科学会開催(幕張メッセ)
平成3年(1991)
【3月8日】
中原爽会頭が、日歯会館で行われた第116回代議員会の役員選挙において、社団法人日本歯科医師会の会長に選出された
【3月15日】
歯学部再整備計画の第3期工事として進められていた本館棟の新築工事は、3月初旬に竣工した
7年にわたった再整備工事は完了し、新校舎竣工式が行われた
【3月15日】
フィンランドのトゥルク大学歯学部と国際姉妹校提携
【4月1日】
中原爽会頭、日本歯科医師会会長に就任
【4月1日】
学長に中原泉新潟歯学部長(54回)が就任し、本学創立以来6代目の学長となる
【4月】
中原泉著「伝説の中原實」、クインテッセンス出版より発行
【5月18日】
平成2年度歯学会総会において歯学会会長に増原泰三教授(新潟歯学部薬理学)を選任
【6月1日】
校友会主催文化講演会の開催を始める
雲仙・普賢岳噴火災害に対し、日本歯科大学校友会会員からの協力による義援金を送付
歯科医事・世相一般
【1月】
湾岸戦争勃発
【6月】
長崎県の雲仙普賢岳で大火砕流
【8月】
「救急救命士法」施行
平成4年(1992)
〔他国〕
第15回APDC(ニュージーランド)
【4月30日~5月2日】
第5回国際歯学研修会が、校友会・歯学会の共催により、「歯科の疼痛対策」をテーマに
英国のマンチェスター大学歯学部において開催
【5月】
歯学会で「歯学会学術研究奨励賞」を新設
歯科医学および医学、その他関連した領域において、優秀な研究業績をあげた若手研究者(会員)を奨励することを目的とし
平成4年度から実施
【6月】
中原泉学長が、第18回日本歯科医学会総会の会頭に委嘱され、同時に本学歯学部が幹事校として同総会を主管
【7月2日】
世界の主要10カ国10校が加盟する「口腔保健のための国際姉妹校連合IUSOH」の初めての全体会議が
英国のグラスゴーにて開催
【10月】
歯科研修登録医制度発足
【10月1日】
歯学部の共同利用研究所のなかの歯科技工研究施設が、早稲田通りに面した歯学部分館に移転し
名称を新たに附属病院歯科技工センターと改める
【10月12日】
新潟歯学部の再整備工事始まる
【11月1日】
フィリピン大学歯学部と姉妹校提携
【12月4日】
中村健吾教授(新潟歯学部歯科理工学)、日本歯科医学会会長賞受賞
【12月】
校友会ファックス通信スタート
歯科医事・世相一般
【3月】
東海道新幹線に「のぞみ」登場
【9月】
毛利衛氏、スペースシャトル「エンデバー」で宇宙へ
平成5年(1993)
〔他国〕
第16回 APDC(マレーシア)
【1月5日】
新潟歯学部の医の博物館に第2展示室(大学記念室)を新設
【2月】
フィリピン大学と大学間の協力協定を締結
【4月1日】
新潟歯学部附属病院に言語治療室・顎機能検査室を新設
【5月30日】
第104回定時総会において、校友会会長に秋山友蔵氏(36回)を選出
【5月末】
新潟歯学部の再整備計画第一期工事のうち、附属病院の玄関が竣工
【7月23日~8月2日】
第25回歯学体、新潟歯学部の主管、中原泉学長の体育連盟会長のもとに開催
【9月3日】
九段ホールが竣工。歯学部第1号館8階の多目的ホールに加えて中規模のホールの新設を計画
3号館1階の校庭に面した311講堂を全面的に改修したもの
【11月】
全国の都道府県歯科医師会より、中原爽会頭(日歯会長)が日本歯科医師会次期会長候補者に推薦される
【12月10日】
園山昇名誉教授(歯学部口腔外科学)、日本歯科医学会会長賞受賞
歯科医事・世相一般
【6月】
皇太子ご成婚
平成6年(1994)
【3月15日】
国際姉妹校連合IUSOHの第2回会議をアメリカのシアトルで開催
【3月18日】
中原爽理事長が日本歯科医師会会長に再選
【7月8日~10日】
中原爽会頭(日歯会長)、東京で開催の世界口腔保健学術大会において、会長を務める
【7月21日】
新潟歯学部は第30回献血運動推進全国大会において厚生大臣の感謝状等の贈呈団体に選ばれた。大学関係の団体顕彰は全国でも珍しい
【7月26日】
中原爽会頭、次期参議院議員選挙の比例代表候補者に推薦される
【10月1日】
歯学部附属病院インプラント診療科の診療室を新設移転
【10月1日】
歯学部学生部は1号館2階に移転し教務部と合併。教務・学生部となる
【12月12日】
古本啓一教授(歯学部放射線学)日本歯科医学会会長賞受賞
【4月1日】
日本歯科医師会政治連盟を「日本歯科医師連盟」と改称
歯科医事・世相一般
【7月】
村山連立内閣発足
平成7年(1995)
【1月23日】
日本歯科大学附属歯科専門学校は文部省より卒業生が専門士と称することのできる専修学校として認可
【5月13日】
阪神・淡路大震災に対し、日本歯科大学校友会会員からの協力による義援金を送付
【5月20日】
平成6年度歯学会定時総会にて歯学会会長に古屋英毅教授(歯学部歯科麻酔学)を選任
【6月1日】
学長に佐藤亨教授(解剖学・44回)就任。本学創立以来7代目の学長となる。同時に中原泉学長は新潟歯学部長に就任
【6月30日】
「国際姉妹校連合IUSOH」の第3回会議をシンガポールで開催
【7月23日】
第17回参議院議員通常選挙において中原爽日歯会長が自民党比例代表区候補者名簿第3位に登載され、即日開票の結果当選した
【11月】
第18回日本歯科医学会総会が開催される
菊池進教授(歯学部小児歯科学)、日本歯科医学会会長賞を受賞
歯科医事・世相一般
【1月】
阪神・淡路大震災
【3月】
地下鉄サリン事件
【11月25日・27日】
第18回日本歯科医学会総会開催。メインテーマは「デンタル・オリンピア'95~21世紀の歯科医療」
平成8年(1996)
【2月24日】
校友会主催「学術フォーラム'96」開催
【3月】
新潟歯学部の再整備工事の最終工事として病理解剖室が附属病院地下1階に新設された
歯科大学・歯学部では初めての専用病理解剖室となる
【6月1日】
創立90周年記念式典挙行
創立90周年の記念事業として新制大学発足以降に本学発展に貢献された教職員(物故者)42名の氏名を刻んだ銘板を
歯学部1号館1階のホールに設置した
同ホールを「メモリアルホール」と命名
【7月4日】
中原泉新潟歯学部長はタイの姉妹校であるマヒドン大学より名誉歯学博士の称号を受け、プーミポン国王より学位記を授与された
【8月23日・24日】
第6回国際歯学研修会、カナダの姉妹校ブリティシュ・コロンビア大学において開催。メインテーマは「歯科における疼痛管理」
【11月16日】
創立90周年記念全国校友大会が東京の帝国ホテルで開催される
歯科医事・世相一般
【2月16日】
HIV訴訟和解
【6月】
歯科医師の卒直後臨床研修制度が法制化
【11月】
国民歯科医療を守る総決起大会開催

平成9年(1997)
【3月】
中原爽会頭、日本歯科医師会会長に三選
【4月】
新潟短期大学に歯科衛生学専攻科設置
【4月】
新潟短期大学学長に旗手敏教授が就任
【7月】
アデレード大学歯学部、13校目の国際姉妹校協定
オタゴ大学歯学部、14校目の国際姉妹校協定
【9月】
新潟歯学部1号館にアイヴイホール竣工
【10月】
横塚繁雄教授(歯学部歯科補綴学)日本歯科医学会会長賞を受賞

歯科医事・世相一般
【4月1日】
消費税率3%から5%に引き上げ
【12月9日】
「介護保険法」成立
平成10年(1998)
【2月】
新潟短期大学、ホームヘルパー養成施設許可
【4月】
歯学部附属病院に心療歯科診療チーム設置
新潟歯学部附属病院にスポーツ歯科外来、白い歯・きれいな歯ぐき外来設置
【6月】
第5回国際姉妹校連合(IUSOH)会議、ニースで開催
歯科医事・世相一般
【2月】
長野オリンピック開催
平成11年(1999)
【2月】
新潟歯学部6号館の先端研究センター竣工、開所式を行う
【2月】
第1回歯学部附属病院歯科医師臨床研修指導医ワークショップ開催
【3月】
第6回国際姉妹校連合(IUSOH)会議、バンクーバーで開催
【4月1日】
古屋英毅教授、歯学部長に就任
【6月】
歯学会会長に森田修己教授(新潟歯学部歯科補綴学)が就任
【10月1日】
新潟歯学部で歯の人類学分科会シンポジウム開催される。テーマは「オーストラリア先住民をめぐって」
【12月1日】
歯学部附属病院に歯科人間ドック開設
歯科医事・世相一般
【2月】
臓器移植法に基づく初の脳死臓器移植実施
平成12年(2000)
【4月】
中原泉新潟歯学部長、学長に就任(8代目)
新潟歯学部長に柬理十三雄教授就任
【4月】
石川富士郎客員教授、新潟短期大学学長に就任
【6月】
2001年1月まで「中原實と戦前期の前衛」常設展が東京都現代美術館で開かれる
【7月】
中原爽参議院議員、総理府総括政務次官に就任
中原泉学長、理事長に就任
中原泉理事長・学長、校友会会頭に就任
【7月】
歯学会、和文誌「歯学」を終刊(英文誌“Odontology"が継承)
【9月】
新潟歯学部の女子学生寮竣工
【10月】
歯学会、第1回研究推進フォーラム開催
【10月】
中原泉学長、華西医科大学より名誉教授の称号を授与される
歯科医事・世相一般
【4月14日】
介護保険制度施行
【5月】
第19回日本歯科医学会総会・第22回アジア太平洋歯科大会開催
【12月】
財団法人8020推進財団設立
平成13年(2001)
【1月】
歯学部、大学機構改革(二元化スタート)
【4月】
新潟歯学部、大学機構改革(準二元化スタート)
【3月】
歯科大学で初のOSCEが臨床研修医を対象に開かれる
【6月】
第7回 国際姉妹校連合(IUSOH)代表者会議、幕張メッセで開催
【7月】
中原爽前理事長、参議院議員に再選
【7月】
第7回 国際歯学研修会、東京で開催
【10月】
光安一夫会長代行(47回)、校友会会長に就任
【11月】
歯学会、英文誌“Odontology"発刊
歯科医事・世相一般
【1月】
改正健康保険法等施行
【9月】
歯科医師の診断書作成が可能に
【9月11日】
アメリカ・同時多発テロ発生
【12月1日】
皇太子妃雅子さま女児出産
【12月】
国民医療を守る全国総決起大会開催
平成14年(2002)
【3月】
歯学部女子学生寮、江東区木場に開設
【3月】
歯学部富士見ホール改装工事竣工
【3月】
歯学部と新潟歯学部で歯学共用試験(OSCE・CBT)を試行する
【4月】
新潟短期大学と歯学部附属歯科専門学校で歯科衛生士教育に3年制を導入
【8月】
新潟歯学部附属病院に臨床シミュレーション室を開設
【12月16日】
佐藤亨名誉教授(歯学部解剖学)日本歯科医学会会長賞を受賞
歯科医事・世相一般
【5月】
日韓共催サッカーワールドカップ開催
【8月】
第1回警察歯科医会全国大会開催(長野)
平成15年(2003)
【2月】
歯学部本館増築工事に着工
【3月13日】
スリランカのペラデニア大学と学術協力協定を結ぶ
【4月】
新潟歯学部で大学機構改革(完全二元化)
【6月】
歯学会会長に筒井健機教授(歯学部薬理学)就任
〝Odontology〟がアメリカ国立医学図書館の国際データベースの「MEDLINE」 に登録
【9月】
新潟歯学部4号館2階に多目的セミナー室を新設
【11月】
歯学部本館地下に生物科学(動物実験)施設が竣工
【12月】
歯学部本館地下に遺体処置室改修完了
歯科医事・世相一般
【3月19日】
イラク戦争勃発
【4月】
被用者保険本人3割負担実施
【5月】
「健康増進法」施行
【11月】
日本歯科医師会創立100周年記念式典挙行
平成16年(2004)
【1月26日】
歯学部で建築中の100周年記念館1期棟の上棟式を行う
【2月】
歯学部5号館解体
【3月】
第8回国際姉妹校連合(IUSOH)代表者会議、ハワイで開催
【4月】
歯学部長に吉田隆一教授(歯科理工学)、新潟歯学部長に村上俊樹教授(生理学)が就任
新潟歯学部2号館2階にITセンター開設
【9月】
歯学部100周年記念館1期棟竣工
【10月】
歯学部附属病院全館改修工事着工
歯学部の学生ホール・レストランを「オアシス」と命名
第8回国際歯学研修会を歯学部富士見ホールで開催
新潟歯学部附属病院から新潟中越地震に際し、歯科医療支援チームを派遣
【11月】
新潟歯学部講堂2階に骨格標本室開設
歯学部100周年記念館の第2期工事着工
【11月30日】
東京短期大学設置認可(2005年4月開校)
【12月13日】
古屋英毅教授(歯学部歯科麻酔学)日本歯科医学会会長賞を受賞
歯科医事・世相一般
【4月】
日歯連汚職事件
【10月23日】
新潟県中越地震発生
平成17年(2005)
【5月】
新潟歯学部生物学の千葉晃教授、環境大臣賞受賞
【8月1日】
モンゴル健康科学大学歯学部、15校目の国際姉妹校協定
【10月】
歯学部附属病院全館改修工事竣工
仲真良性氏(48回・沖縄)が会長を務める「沖縄・ 沖縄歯科口腔外科研究振興会」が第57回保健文化賞を受賞
【12月16日】
鴨井久一名誉教授(歯学部歯周病学)日本歯科医学会会長賞を受賞
歯科医事・世相一般
【4月1日】
「個人情報保護法」施行
平成18年(2006)
【1月5日】
日本歯科大学校友会は、千代田区大手町の都道(旧「商工中学校」跡)に「日本歯科大学発祥の地」の記念碑を建立し、除幕式を挙行
【4月1日】
本学、学部・学科・研究科の名称を「生命歯学」に改称
病院の名称を変更。附属病院に総合診療室4・スキルラボ室を設置。新潟病院に病院情報処理室・臨床検査室・医療相談室を設置
【4月】
大学院生命歯学研究科で社会人選抜入試
東京・新潟間でテレビ会議システム導入
【5月末】
100周年記念館の第二期棟工事竣工し、東京の再整備計画完了
【5月26日】
中原泉学長、日本私立歯科大学協会会長に選任
【6月1日】
本学創立100周年記念式典挙行
【6月10日】
中原泉学長、中山医学大学から名誉博士号授与される
【6月29日】
中原泉学長、歯科医療研修振興財団理事長に選任
【6月 29日】
国際姉妹校連合(IUSOH)代表者会議をブリスベン(オーストラリア)で開催
【9月21日】
新潟生命歯学部校庭に「創立100周年記念碑」を建立し、除幕式を挙行
校友会が寄贈した「ヒポクラテスの木」の植樹式を行う
【9月30日・10月1日】
歯学会主催「国際フォーラム」を東京・新潟の二会場で開催
【10月7日】
本学の男子寮「富士見寮」を偲び、東小金井グラウンド内に寮生OB有志が「寮碑」を建立、除幕式を行う
【10月8日】
創立100周年記念全国校友大会(式典・祝賀会)を東京のホテルニューオータニ東京で開催
【10月】
歯学会学術機関誌〝Odontology〟がトムソンサイエンティフィックのデータベースに収録される
【11月1日】
メリーランド大学歯学部、16校目の姉妹校
【12月16日】
100周年記念館竣工式典と祝賀会を生命歯学部九段ホールとメモリアルホールで挙行
校友会が寄贈した「ヒポクラテスの木」の植樹式を行う
歯科医事・世相一般
【4月】
歯科医師臨床研修必修化実施
【5月27日】
インドネシアのジャワ島中部で大地震
【6月1日】
日本歯科大学創立100周年記念式典
【7月17日】
インドネシアのジャワ島西部の海底で大地震
【8月24日】
冥王星が太陽系惑星から除外される
【9月6日】
秋篠宮妃紀子さま男児ご出産
【9月26日】
安倍晋三内閣発足
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